rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

歴史総合学習法7江戸時代の日本(1)幕藩体制

参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P27(32行目)~P29(16行目)「幕藩体制下の日本」「江戸時代の経済」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

歴史総合科目の特色

近現代史を中心に世界史と日本史がごっちゃ混ぜ、ということです。

互いに深い関係があればいいのですが、ざっと見た限り普通の外交・貿易関係ですね。

覚える内容がグローバルに果てしなく広がって、負担が増しているような気がします。

大学入試問題でも世界史と日本史の混合問題が出ていますが、無理なこじつけ感が…。

 

①冒頭文

前の時代は…

豊臣政権で

秀吉につぐ有力者であった徳川家康

この教科書のP27の32~33行目に、親切に書いてくれています。
さすが自分の国の歴史を大事にしています。

時はまだ戦国時代。
下剋上の風潮がまだ残っています。

政権が安定し、有力者といえど政権を覆す隙がなければ、下剋上は難しいでしょう。
しかし豊臣政権は、不安定でした。

そしてこの時代、有力者徳川家康がついに下剋上を成功させ、政権を奪いました。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

日本史は世界史に比べて論理的な内容ではないので、この手法が通用するかどうかですが、一応やってみましょう。

なお歴史的思考のほうは、じゅうぶんに可能です。

将 軍 幕 府 城 藩 体制 領 国 支配

教 禁止 交代 参 船 来航 

宗 檀 寺

固有名詞は省いていますが、幕府・領国は微妙なので分解しました。

1段落目は、どうやら政治体制の説明のようです。
2段落目は、宗教や貿易に対する政策のようです。
3段落目も、宗教関連みたいです。

政治体制は、軍の最高司令官が陣幕を張った場所(幕府)で行政を行うものです。
そして全国の諸城を中心とした諸地域を服従した者たちに与え、藩(区分という意味)に分けそれぞれの責任で支配させる体制でした。

政策の基本は「禁止」で、一部の宗教は禁止、藩の責任者が支配地域に留まることを禁止し(一年交代で幕府がある地に参上せよ)、一部の船の来航を禁止しました。

民の把握には仏教寺院を利用し、民全員が宗派別の檀に登録されました。壇というのは仏教の儀式を行う一段高い台のような場所(つまり寺院を意味する)のことです。

 

・軍事政権である

服従した藩の責任者(前の時代に各地に割拠していた軍人たち)に自治を認める

・宗教や貿易に対する強い制限政策をとる

・藩の責任者の行動への厳しい規制を行う

・民に対しても宗教などで厳しい制限がある

前の豊臣政権にはなかった非常に強力な統制政治です。

自治を認めると言っておきながら自由な行動を許さない点で、事実上の中央集権です。

特に宗教と貿易に対しては、異常なくらい厳しい制限を加えています。

 

③思考を促すような言葉をピックアップし思考する

将 軍 府 領・支配 教 禁止 交代 参 来 宗 寺

いっぱいありますね。
日常の学習では、ここまではなかなかできないと思います。
余裕があれば、挑戦しましょう。
既習の方は、②でちょろっと復習し、③に進むとよいでしょう。

分量がかなりあるので、興味のある項目だけ読むのもいいでしょう。

*「将」

とくれば、兵。
戦争は武将だけではできません。
多数の兵士が必要です。

この平和になった時代、兵士はどうなったと思いますか。

各藩の藩士になった人は、全員、騎乗の武士つまり将官でした。
兵士の中には主人についていき、藩士の側仕えになった者もいます。

しかし多くは、帰農つまり農民に戻りました。
戦国時代の兵士の大多数は、農民だったのです。

戦国時代は農民身分でありながら戦争に参加し、才能を見せると将官つまり武士に取り立てられるのが普通でした。
豊臣秀吉の出世は、実は普通のことだったのです。

この江戸時代になると、「農民が武士になるのは禁止!」になりました。
これが、身分制度の確立と呼ばれるものです。

*「軍」

軍の対照語は、民。
軍政・民政という使い方があります。
政策の傾向は、どう違うでしょうか。

軍政は、軍事力を背景にしているため、命令を聞かない相手に対し武力に訴え無理強いすることが多く見られます。
武断政治といいます。

これに対し民政は、命令を聞かない相手に対し説得や法的措置(裁判に訴える)により納得させます。
文治政治といいます。

どちらのほうが理不尽でないか、一目瞭然でしょう。

江戸幕府は軍事政権でありながら、その後大きく政策転換し文治政治を行い結果260年余り政権が続きました。
もちろんその前提として、各地の大名を厳しく統制することで軍事力を弱体化させ、その完了を見て満を持して文治政治に転換したのです。

軍は軍事力を背景に暴走することが多く、無用の戦争を引き起こす傾向があります。
現代の世界諸国では、軍の暴走を止めるためシビリアンコントロール(民による制御)という仕組みが作られています。
徳川氏とその家臣団が、いかに優れた見識を持っていたかが分かります。

*「府」

現在の日本の地方公共団体として、都道府県があります。
都道府県の間に上下関係はなく、府はそのうちの一つの種類です。

しかし歴史的にみると、府は特別な存在です。
府とは、役人が集まって事務を行うところという意味、つまり首都を意味します。
「幕府」「政府」、共にそういう意味です。

これは、明治維新のとき徳川氏の旧直轄領の多かった地域を、とりあえず3つの府(東京府京都府大阪府)にまとめた経緯に由来します。

*「領」「支配」

これは動詞です。つまりAがB(の住む地域)を領する、AがBを支配するというふうに使います。

Aは誰ですか?Bは誰ですか?これを明確にする必要があります。

日本語はとかくこの人物特定をおろそかにします。
日本の組織に責任逃れ、誰が責任者か分からないということが多いのは、こういう言葉の使い方に由来するのかもしれませんね。

ここでは、Aは江戸幕府です。
Bは、江戸幕府以外の全ての勢力です。大名、朝廷(公家)、農民・商人・職人。

こういうふうに人物を特定すると、江戸幕府の支配が比較的困難だったことが分かります。
自分たち以外は全員、敵ですから。
だから、禁止だらけの厳しい統制策をとったのです。

現代の日本はじめ諸国の政府も、大人数の国民を支配することがとても困難といえます。
現代は強圧的な政治ではなく、説得を試みる民主政治です。
しかしその説得に失敗する危険が非常に大きいという、綱渡り的な状態といえます。
民主的な態度をいかに保つかが、説得の成否を決めます。

*「教」

宗教ですね。
江戸幕府は、宗教政策を大きな特色の一つに位置付けていました。
その方法は、キリスト教の禁止(禁教)です。

ただ宗教というのは人の内心の持っていき方であって、その心の中を禁止することはもちろん物理的にはできません。
だから宗教の規制は、リアルにはその宗教団体(信者の集まり)の活動を禁止するという形をとります。
表立った宗教活動を禁止すれば、少なくとも布教は防ぐことができるし、信者が集まることによる信仰の高まりも防ぐことができます。

さて、江戸時代の他の宗教はどうだったのでしょうか。保護されて大いに盛り上がったのでしょうか。
仏教が政治的に利用されたのですが、実は仏教寺院もその勢力を削減させられています。
戦国時代に大名並みの実力を持っていた一向宗浄土真宗)は、その本拠だった本願寺を二つに分割させられました。東本願寺西本願寺です。全国の一向宗寺院たちも、この東西に振り分けられました。

このように他の宗教に対しても江戸幕府は、規制を加えていたのです。
けっきょく、自分たち以外の全てを敵とみなしていたのですね。

*「禁止」

政権が国民を支配するときもっとも多用されるのが、この方法です。
とてもシンプルで、容易だからです。
現代の日本にも、独占禁止法とか、駐車禁止とかいっぱいあります。刑法は、犯罪禁止法です。
学校の校則も、「何々(髪を染める、パーマをかける、上着やズボンを長くする、アルバイトをする、バイク通学をするなど)してはいけない」の羅列であることが多いでしょう。

自由にしてよい、と言ったらどうなるでしょうか。

現代の日本国憲法には、いろいろな自由が定められています。
その代表が、表現の自由
人は、自由に意見を発表してよい、自由に小説や漫画を作ってよい、などです。

すると、みな自由にやりたい放題になり他人のプライバシーを侵害したり、過激な内容の作品を作ったりします。
これを防ぐため、憲法には「公共の福祉による自由の制限(自由の一部禁止)」という定めがあります。
公共の福祉というのは、要するに他人に迷惑をかけるなという意味です。
本当は、完全な自由が最も望ましいのですけれどね。
人は、どうしても悪の道に走ってしまう傾向があるようで・・・(人は元来ワルであるという考えを、性悪説という)

*「交代」

参勤交代は、大名が領地に居着いてその地域の農民や商人と親密になることを防ぐ目的でした。
民と親密になり団結して江戸幕府に反抗することを、恐れたのです。

江戸幕府は、幕府の重要な役職の多くにこの交代制を採用しました。
例えば老中は常に4,5人、町奉行は常に2人いて、月番といって主担を一か月務め’他の人は副担になる)た後、交代するという形でした。
権力が独りに集中することを防いだ、巧妙な方法です。

しかし現代の制度は残念ながら、この江戸幕府の長所を全く採用していません。
独りの社長・市長・町長が十年二十年と居座り続け、弊害が酷くなることも多いです。
「権力は腐敗する」ということわざがあります。
腐敗しないまでも、雰囲気が固まりマンネリ化し覇気が失われサービスが低下します。

ちなみに江戸時代の参勤交代により、江戸で流行したことが一年後に全国津々浦々に伝わりました。
地方の片田舎にまで長崎から細々と流入した蘭学が普及し、多くの偉人が地方から誕生しています。

*「参」

これも、動詞です。どこからどこへ参るのでしょうか?

参るというのは、下から上に行くという意味です。
「上」には、地位のほかに、心のよりどころ、晴れ舞台、尊敬すべき場所という意味もあります。
「正義の味方、只今参上」と言ったりしますね。

参勤交代は、大名が各地方の領地から幕府のある江戸に行くことです。

ちなみに「参」の反対語は、「罷(まか)る」です。
人が亡くなることを「みまかる」ともいいます。
また「まかり通る」というのは、何か良くない(参ってほしくない)ものが堂々と行き交っているという意味です。

こうなってくると、歴史的思考というより国語の学習ですね。
最近は、国語と社会の総合問題も大学入試で出ています。

*「来」

ここでは来航という意味で使っています。
船で海外から来るということです。

江戸幕府は、外からくる船のうちオランダと中国は許可し、それ以外の国(イギリス・スペイン・ポルトガル)は禁止しました。
この差は、同じキリスト教国でも、スペイン・ポルトガルカトリック宗派、オランダはプロテスタント宗派という違いにあります。
カトリック諸国はキリスト教の布教目的を、侵略と併用することが多かったのです。この2国は特に戦闘的でした。
プロテスタント諸国は、政治と宗教を区別していました。

ただオランダも、現在のインドネシアに広大な植民地を作っています。
途中で撤退したイギリスも、同様に各地を侵略する目的がありました。
この2国は、日本に対し侵略をしないという態度をとっていただけなのです。

来るの反対語は、「(海外に)行く」です。
江戸幕府は、日本人が出国すること、帰国することも禁止しました。
江戸時代初期に東南アジアに行った山田長政が、そのまま現地で一生を終えた話は有名です。
嵐で流された漂流民は例外で、役人が厳しく取り調べたうえで帰国を許されました。ジョン万次郎など。

*「宗」

宗教の中は、考えの違いからいくつかの宗派に分かれていました。
上記のキリスト教の2大宗派、仏教の各宗派などです。

一口に仏教といっても、中身は多種多様です。
日本史では、鎌倉時代に成立した6大宗派が代表的です。
出家を重んじる浄土宗、俗生活を許す浄土真宗、政治改革を目指す日蓮宗、ダンスパフォーマンスの時宗、座禅し問答する臨済宗、ひたすら座禅する曹洞宗です。

それぞれの宗派の中も、さらに各派に分かれています。
浄土真宗だと、西本願寺派大谷派に分かれます。臨済宗には15の分派があります。

浄土真宗は別名一向宗で、室町時代に大勢力となり戦国大名たちと抗争しました。
日蓮宗は、鎌倉・室町時代に普及し、現代では政界にも進出し閣僚を務めています。
臨済宗は、室町幕府と政治的に結びました。一休さんが有名です。

*「寺」

とくれば、神社は江戸時代は?
あることはありましたが、仏教が幕府と結んだため、神社は風前の灯火になりました。

しかし江戸時代後期に欧米諸国の船が近海に現れると、「日本は神国だから侵略されない」という元寇時代の思想が注目され神道が隆盛することになります。

民間ではこの時代少雨傾向で飢饉が多かったこともあり、雨ごい目的の天神さんが全国各地の村々にありました。


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歴史総合学習法6 14世紀以降の東アジア(2)清王朝

今回の参照資料・引用元

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P27(11~31行目)「清(しん)の政治と経済」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

①冒頭文で、前の時代を見る

この単元では、説明の一文があります。

満洲人による清は、もともと中国東北部で勢力を拡大する際、モンゴル人や漢人を政権に参加させていた。

中国本土についての説明ではありませんが、この清王朝の特色を表す一文になっています。

かつてのモンゴル帝国および元王朝の政策はモンゴル人第一主義で、漢人を差別し政権から排除していました。
その他の北方民族による征服王朝も、このモンゴルと同様でした。

しかしこの清王朝は、漢人を政権に参加させました。
なぜか態度が違います。
もちろん後述するように満洲文化を強制したりしています。

この違いの理由は、清代、支配者である満洲人の人口がとても少なく(200万人)、漢人の人口が圧倒的多数だった(5000万人のち4億人)ことがあります。
漢人が支配に抵抗しなかったのも、謎ですね。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

本土 皇帝 を重んじる 王朝 人口 官僚 経済 貿易 政治 増 開 墾 新 山 乱

最初の言葉で思考をくすぐられるのを我慢(笑)して見てみると、政治も経済も社会も充実していることがわかります。
この清王朝の時代が、中国歴代王朝の中で最も栄えた時代といわれます。

政治面では官僚体制が整い、経済面では貿易が活発で国内の開発も進展し、人口が急激に増加(17世紀5000万人⇒19世紀4億人)しました。

 

「を重んじる」というのは、清王朝支配下にある多数の民族(主に5民族=満洲・漢・モンゴル・チベットウイグル)に対する態度で、それぞれの文化を重んじるという意味です。

しかし諸民族に完全な自由を許したわけではなく、満洲人の皇帝が各文化を取り入れその頂点に立つという形をとりました。

支配下の男子全員に満洲人の髪型を強制するなど、征服王朝ならではの政策もありました。

 

③思考をくすぐられる言葉を抜き出し思考する

思考をくすぐられるというのは、その言葉からいろいろな連想が可能という意味です。

この点で、固有名詞や歴史用語は比較的連想が難しいのです。

国名・地域名のなかには連想可能なものもあります。例:中国、日本。

 

*脱線話=日本の国名から連想可能なこと

これは今回の話から脱線してしまうのでどうしようかと迷ったのですが、一度思考をしてしまうと止まらない(笑)ので、少し触れておきます。

 

日本とは、どういう意味の言葉でしょうか?
日出づる所、という意味です。(こういう説がある)
つまり、東という意味です。

 

「東」とくれば、西を連想しますね。日本の西には、何がありますか?

まず中国、次いでインド、次いで西アジア、次いでヨーロッパ、次いでアメリカ。
つまり、海外諸国があります。

ということは日本とは、海外諸国(世界)から見た東の端(極東)にある国という意味になります。

歴史総合の科目理念は、「世界から見た日本」です。この日本という国名はまさにそれですね。

 

私個人的には、日本という国名はいわゆる自己チューでないのであまり面白くないと思っています。
他人を思いやる気持ちが強い日本人の国民性に沿っていて、謙虚で控えめな表現なので良いと思う人もいますが。
もっと自分を押し出すような国名であればいいのにと思ったりします。

 

昔の日本の別名は、「大和」「敷島」「扶桑」「瑞穂(みづほ)」「葦原の中つ国」「秋津洲」「大八島」などです。

前4つは、戦艦名や銀行名に採用されてしまっています。

いっそのこと「蓬莱(ほうらい)」にしてもいいですが、ラノベやアニメに架空の国名・地名として出ていたような記憶があります。

 

脱線話はこれくらいにして、この単元から思考をそそられる言葉を抜き出しましょう。

本土 皇帝 を重んじる 増 開 墾 新 山 乱

後半6語は、容易に連想可能な分かりやすい言葉たちです。

*「本土」

本土の別名は内地。第二次世界大戦中の日本は、本土四島を内地と呼び、沖縄や植民地を外地と呼んでいました。

これは、外地に対する差別政策の現れです。(現在もその名残がみられる・・・)

 

この単元では、本土は中国本土のことです。本拠地という意味でしょう。

ただ清王朝満洲人は、じつは中国を本拠地にしていません。
あくまで満洲中国東北部)が本拠地でした。

5民族の上に等しく立つという理念で、広大な領土(P27の右上の地図)を支配しました。
その意味で、清は世界帝国でした。

 

清王朝は、モンゴル帝国とよく比較されます。

モンゴル帝国は、元王朝になってからは中国を本拠地にしました。
そのため支配する各地域が、やがて離反していきます。
最強の軍事力を背景にしたモンゴル人以外の民族への差別政策も、理由にあったでしょう。

*「皇帝」

皇帝というと一般的には諸国の王や諸民族の上に立つ王様という意味ですが、ヨーロッパ史だと古代ローマでは全ての最高権力を一身に集める人という意味であり、中世ではキリスト教を保護する世俗権力の最高者(全てのキリスト教国の上に立つ)という意味で使われています。

中には「皇帝になりたい」という願望を込めて自称する例もあります。

フランス革命後にナポレオンが即位した皇帝は、王様ではなく、一応民主主義の体裁をとった軍事政権の最高権力者という意味です。

19世紀のドイツ皇帝と20世紀のナチス・ドイツ総統は、どちらも中世の皇帝を意識していました。

どの意味にとろうとも、皇帝という語には多数の人々を支配する者という意味があるとわかります。

*「を重んじる」

為政者はいろいろな政策を行うのですが、全て満遍なくというわけにはいきません。
財源には限りがあるからです。

そこである政策は重んじるが、ある政策は軽んじることになります。
もちろん軽んじられた政策を頼みにしていた国民にとっては、大迷惑な話です。
現代でもこの軽んじられている政策について、国会で閣僚が激しく追及されているのをよく見ます。

清の歴代皇帝は、教科書の記述にある通り片や満洲人(武)を重んじ、片や漢人(文)を重んじという政策でした。
これは生半可なことではありません。
文武両道を修めよとよくいわれますが、リアルには難しいです。どちらもできる人は、万能とか天才とかいわれるほど少数です。
これを少なくとも二百年は維持したのですから、驚きです。

*「増」「開」「墾」「新」

とても前向きな言葉が並んでいますね。

歴史的(時系列的)に見るとそれぞれ、少なかったのが増えた、閉じていたのが開かれた、荒れ地だったのが田畑にされた、古かったのが新しくなった、ということになります。

前向きな言葉が出てくると、後ろ向きな言葉を連想できます。

増えたというのは中国の人口が増えたという意味で、清建国時には5000万人だったのが19世紀には4億人になっています。

「開」「墾」「新」は、元は山地や荒れ地だった所が新しく開発され田畑にされたという意味です。

*「山」

この清代には中国の山地が開墾され、多くの山が消えました。

さて、山の対照語は平地ですね。
この、山と平地は自然界的にはワンセットとなっています。

山がある地域は雨が多いことが多く、山に降った雨が流れ下り河川となって平地を流れ平地を潤します。
また雨が多いと植物が成長し、山には樹林が多く生え雨を吸収し溜め込みます。
この結果、山に雨が降っても一気に流れ下ることがなく、洪水が起きにくくなります。

近くに山がない平地は、河川も枯れてしまい乾燥しやがて砂漠化します。
大量の雨が降ると、土壌が乾燥しているため染み込まず表面を流れ大洪水になります。

「乱」

平穏が乱されることを意味します。
平穏とは、人々の日々の生業の平穏のことです。

上記の様々な前向きの言葉は、前向きな人にとってはもろ手を挙げて大歓迎ですが、後ろ向きな人や現状維持思考の人にとっては迷惑千万です。

清王朝の政策により農地を新しく開発されて喜んだのは人口が増えすぎて田畑が不足し持てなかった人たちで、迷惑に思ったのは開発された山地(の産物。木材や木の実)を生業としていた人たちです。

このように一見素晴らしいと思えるような政策あるいは態度であっても、人の利益や立場によっては困ってしまうということが分かります。
「前向きは善で、後ろ向きは悪だ」とは一概に言えないのです。
このように物事には多面性(多くは二面性)があるということを、歴史学習だけでなく人生の教訓としても知っておくべきでしょう。

 

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歴史総合学習法5 14世紀以降の東アジア(1)明王朝

おわび

私はここで3月からブログを書いていましたが、参照教科書の著作権への配慮をおろそかにしていたことに気が付きとりあえず全記事を削除し、改めて著作権に配慮しながら書いています。

削除した記事は閲覧できません。あしからずご了承ください。

 

参考資料・引用元は

 

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P26~27(10行目まで)「明の朝貢体制と東アジア」および「16~17世紀の東アジア」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

①冒頭文

 

この単元では、P26の1~3行目に、前の時代の説明が丁寧に記されています。それによると

東アジアの国際関係の特徴は、古くから中国の王朝を中心とする朝貢関係が結ばれてきたことである。

とあります。

これは、中国の歴代王朝(秦・漢・隋・唐・宋・元)が存在した時代は、中国は周辺諸国に対し圧倒的な国力を有していて東アジア全域を軍事的に制圧可能な(リアルに征服しようとすると国力が疲弊するのでほとんどやらない)状況にありました。

中国王朝はその威を示すため、周辺諸国に対し平和的な外交や貿易においても尊大な態度をとりました。

朝貢とは、周辺諸国が中国王朝にプレゼントを贈り、その見返りに中国の皇帝から「何々王(倭王日本国王など)」に任じられるという外交形式です。

王は、皇帝の家来という建前です。中国王朝の風下に立つという態度の表明です。

いびつな国際関係といえるでしょう。

 

この明王朝の時代はどうでしょうか。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

[14~15世紀]

14世紀 朝貢 関係 王朝 貿易 利益 中心国 周辺国 貢物 返礼品 与える 交易

例によって、固有名詞を省いています。

ざっと見ればわかるとおり、明王朝の時代も周辺諸国との朝貢関係を維持し続けています。

中華意識が身に沁みついてしまっています。

[16~17世紀]

16世紀 東 商人 貿易 利益 政権 北 17世紀

16世紀の明後半になると、少し様相が違うような言葉たちです。

しかし教科書を読むと相変わらず朝貢関係は続いていて、中国も含め諸国の商人たちはやむなく密貿易に手を染めたり海賊をしたりしています。

 

周辺諸国の中には、この貿易(東つまり西との貿易)の利益を得て急成長する政権も現れました。

鉄砲を輸入し軍事力を高めた日本の戦国大名、特に織田信長豊臣秀吉のことです。

 

17世紀になると、北の遊牧民族が国家を形成し南の明を脅かします。

 

③思考を広げるような言葉をピックアップし歴史的思考をする

中心国 周辺国 貢物 返礼品 与える 東 北

本文のメインテーマの中で、ほとんど説明してしまいました。

 

*「中心国」⇔「周辺国」

中世ヨーロッパでも、神聖ローマ皇帝の座を巡り諸侯(選帝侯)間でし烈な争いが繰り広げられました。

皇帝になると、名目上は諸侯やヨーロッパ諸王国の上位に立つからです。

 

*「貢物」⇔「返礼品」を「与える」

これは、分かりやすいですね。

バレンタインデーでチョコをもらったら、ホワイトデーでお返しをする。

「これで貸し借り無しだ」という声が聞こえてくるようです。

そうです。明王朝など中国歴代王朝と周辺諸国との関係は、表面上は朝貢関係でしたが、内実は対等の貿易・外交関係でした。

貢物は周辺諸国が中国に輸出する(売る)品々、返礼品は周辺諸国使節一行が中国から輸入する(買う)品々です。

ただ貿易できる機会は、周辺国が中国に使節を送ったその段階だけです。自由貿易ではありません。

建前をやめて自由貿易にすればいいのにと思いますが、そこは中国の中華意識というメンツが許さないというそういう状態です。

 

*「東」

とくれば西を思え、という思考は、このブログを第1回から読めばそろそろ身につく頃でしょう。

ここでいう西は、ヨーロッパ諸国のことです。

16世紀は、ヨーロッパ人の大航海時代に当たります。

ヨーロッパ人がもたらす珍しい品々(ヨーロッパ産の鉄砲や、東南アジア産の香辛料など)に、中国の商人たちはぜひ取引したいと思ったことでしょう。

明王朝への不満が、中国人の間に日に日に高まります。

 

*「北」

とくれば、南を・・・。

ここでは、北方民族が再び中国本土に南下しようという勢いを見せ始めます。

ただその北方民族は、モンゴル人ではないようです。

 

中国の歴史学習に欠かせないのは、「東西南北」思考です。

中国王朝に、東から、西から、南から、北からどのような勢力が近づいているか存在しているかを理解する必要があります。

これは、中国の地域名からも導き出すことができます。

「中国」の「中」とくれば、その反対語は「外」ですからね。

中国人の伝統意識の中には、常に周辺諸国が強く印象付けられて存在しています。

 

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歴史総合学習法4 16世紀の東南アジア

前回までの3回は

ブログ主の私が提案する学習法を知ってもらうために、その手順をかなり詳しく書きました。

そのため分量がかなり多くなってしまいました。

今回からは

まず冒頭文で前の時代を特定し

次に繰り返し出てくる言葉をチェックしてメインテーマを抽出し

その中から歴史的思考が可能な言葉をさらに抜き出す

という3段階をささっと書きたいと思います。

重点は、歴史的思考力に直結する(つまり大学入試対策や深みのある歴史学習に役に立つ)に置きます。

参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P25の25行目以降「東南アジア」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

歴史に興味のある大人の方々、または歴史に興味がないが学び直したいと思っている大人の方々へ

学校を卒業し社会人となっているみなさん、歴史をもう一度学び直しませんか?

歴史を体系立って学び直す最も優れたツールが、学校の歴史教科書です。

上記の教科書は、各種通販サイトや山川出版社自体の通販サイトで販売されています。価格も、数百円と手に入れやすくなっています。

教科書を手に取り、私がこのブログで提案している方法で読めば、容易に体系的な歴史の知識が手に入ります。

①冒頭文

前の時代は・・・書かれていません。しょうがないですね。

東南アジアには16世紀以降、ポルトガルやスペイン・オランダ・イギリスなどヨーロッパ勢力が進出し

とあるので、無理に

「東南アジアには15世紀以前、・・・などヨーロッパ勢力が進出していなかった」

とこじつけて前の時代を特定するほかありません。

 

15世紀以前、ヨーロッパ勢力はなぜ東南アジアに進出していなかったかというと、ポルトガル・スペインは国自体が存在しなかったこと(地方勢力としては存在)、オランダは地方勢力でさえなく影も形も無かったこと、イギリスは貴族同士の対立抗争が酷く国王の権力が弱かったことなどの原因があります。

 

16世紀になると、ポルトガル・スペイン・オランダが国家として確立し、イギリス(正確にはイングランド)にはヘンリー8世やエリザベス1世女王ら有名な絶対君主が現れました。

商人が遠い地域に海を渡っていくには、大洋を乗り切る大型船と多数の人員と食料が必要です。

商人個人では難しく、国家的規模での後援が必要だったのです。

②繰り返し出てくる言葉

P25の25~34行目までを(固有名詞や歴史用語を抜いて)チェックすると

東 南 域 内 貿易 国際 利益 財政 基盤 港市 国家

これが、この単元のメインテーマです。この言葉たちを使って作文すると

「東と南をつなぐ域内の国際的な貿易で獲得した利益を財政の基盤とする港市メインの国家が各地に現れた」

という感じです。

 

「東」とか「西」とか、歴史的思考をやりたい気持ちがうずうずするような言葉がありますが、ちょっと我慢(笑)して。

ここに「東」と「西」とあるのに、なぜ「域」「内」なのか?という疑問が湧きます。

東といえば、中国。西といえば?

世界全体を見ると西といえばヨーロッパですが、ここではインドを指します。

域内というのは、アジア地域の内でという意味なのです。中国とインドはかなり距離があると思いますが、ヨーロッパとの距離よりは近いです。

 

それでは、ヨーロッパは?スペインとオランダがこの東南アジアに来ているから、ヨーロッパと貿易しているのでは?

という疑問が起きます。

しかし、やはり「域内」なのです。

この東南アジアの諸国には数多くの外国商人が出入りしますが、スペイン商人やオランダ商人はそのなかの2種類でしかなく、本国やアメリカ大陸ともちろん行き来しますがメインはここに拠点を置きこの地域の貿易(東と西をつなぐ)に従事していたのです。

③パートナーのある言葉を抽出

さて、歴史的思考を広げていきましょう。

定期テスト対策や大学共通試験対策なら、①②だけで十分です。

論述・記述式問題対策や、歴史の深いところを知りたいのであれば、ここを思考してください。

ここに書いたものはあくまで参考程度にし、自力で(基礎的な知識が前提ですが)やるといっそう力がつきます。

東 南 内 国際 港市

*「東」とくれば、西。「南」とくれば、北。

方角言葉が、思考を最も容易に広げてくれます。

東南アジアは、東(中国・日本・アメリカ)西(インド・西アジア・アフリカ・ヨーロッパ)南(オーストラリア)北(中国があるが、山地に阻まれる)全ての方角を連想できるというまさに国際交流・貿易の重要地域です。それは、現在も同様です。

現代の中国がこの地域を支配しようと意図しているのも、そういう理由です。

日本にとっては、西アジアやアフリカから原油や鉱産物を運んでくる船の通り道です。

ここをもし一国が支配し公海をなくすか狭めようものなら、日本経済は大きく損なわれてしまうことでしょう。

*「内」

域内貿易と域外貿易(ヨーロッパとの)の比重が、前者に傾いているのがこの16世紀の情勢です。

これがやがて、後者が増えてきます。

そして後者がメインになるのが、18世紀以降になります。東南アジアの列強諸国による植民地化が進みます。

*「国際」

とくれば、東南アジアの諸国の「国内」はどうなっているのでしょうか?

これは、前のイスラーム3帝国と同様で、外国人が行き交い貿易・商業活動が盛んなのはあくまで首都と港市周辺に限られます。

それらから一歩中に入ると、そこは当時のヨーロッパ諸国と同様、人は一生村やその近隣から出ることのない状態の、農村でした。

しかも、海外に輸出する産物を強制的に作らされているという状態でした。

国家が繁栄しているといっても、国家の中の誰が利益を享受しているのかよくよく見極めなければいけません。

*「港市」

これも前の「国際」と同様で、外国からくる商人や国家使節にアピールするため見栄えばかり(つまり中身がない)を強調することになります。

 

戦国時代の日本の港市・堺が有名ですが、その堺にある建物は現代にいたるまで海岸線と平行になるように作られています。

堺付近の海岸線は北東方向から南西方向に伸びているのですが、堺の町割り道路はすべてこの海岸線に平行に作られ、建物もそれに倣いました。

結果として、海外から船で堺を訪れた商人や使節は整然ときれいに並んだ建物群に感激し、財布のひもが緩くなりました(笑)。

ちなみに大仙古墳(仁徳天皇陵)も、海岸線に沿って造られています。

 

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歴史総合学習法3イスラーム3帝国(3)

はじめに

ブログの内容の性質上、どうしても長くなってしまうことをご容赦ください。

 

参考資料・引用元

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P24~25「西・南アジアのイスラーム帝国」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

前回からの続き

本文中に繰り返し出てくる言葉(メインテーマ)から、対照語などパートナーを持つ抽象的な言葉を抽出した結果。

"帝国 繁栄 内 外 教徒 自 首都 輸出 綿織物"

 

”繁栄”(P24の10行目に初出)

この言葉は、相対的な(他の何かと比較してという)意味を持っています。

つまり、繫栄しているこのイスラーム3帝国に対し、繫栄していない国や地域が存在していることが分かります。

それは、ポルトガル・スペイン・イギリス・フランス・オランダなどのヨーロッパ諸国です。

 

当時16世紀のヨーロッパ諸国は、産業がろくに発達せずじり貧の停滞したローカルな地域でした。

現在のこれらの国々が国際政治や国際経済をリードしているのと比べると、月とスッポン、天国と地獄、雲泥の差です。

 

この16世紀は大航海時代で、これらの国々が世界に羽ばたき世界をリードし始めたというような印象です。

が、実態は、商人たちがアジア諸国を訪れてタージマハール(P6に写真。高さ50メートル級の墓石)などの建築の巨大さに度肝を抜かれ腰を抜かし、侵略どころではなく港町に小さな拠点を作り細々と貿易(しかも買いメイン)をするだけでした。

 

”内” ”外”(P24の11行目に初出)

教科書本文の中にどちらも明記されているので、分かりやすいです。「内外」という一つの熟語を作っていたりします。

3帝国の共通の特徴として、国内と国外が密接な関係にあることがあります。

 

現代なら、空港や港が身近にあり行こうと思えば容易に行けます。

さらにインターネットにより、自宅の自室や手のひらの上から世界につながっています。

自宅に引きこもる生活をしている人も、メディア(テレビなど)やネット端末を使っているならそれは引きこもっているのではなく、グローバルな世界と関わっていることになるのです。

 

しかしそういう手段のない16世紀では、人は普通狭い日常空間(国内、どころか村内かもしれない)の中で一生を終えます。

ヨーロッパから海外に飛び出しアジアを訪れるというのは、ごく少数の人たちだけでした。

 

それが、この3帝国では(特に首都では)、日常的に海外の人や他の民族、他の宗教と触れ合う状態だったのです。

これは、非常に特異なことといえるでしょう。

豊臣秀吉の時代の日本でさえ南蛮人が多数訪れたのは堺や長崎どまりで、大坂の城下町にはほとんどいなかったのです。

 

”教徒”(P24の16行目に初出)

宗教の信者のことです。

 

宗教には、いろいろあります。

この3帝国が国教にしているイスラーム教、ヨーロッパ人が主なキリスト教、インド発祥の仏教。

その他、民族宗教ユダヤ教ヒンドゥー教ゾロアスター教神道など。

 

この3帝国は、繫栄している時代はイスラーム教以外の他の宗教に対しとても寛容で、自治を認めたり、イスラーム教徒以外に課す税を免除したりしました。

イスラーム教は、唯一神信仰です。

それなのに心が広いとは、すごいことですね。

帝国の巨大な力を背景に、余裕たっぷりというところでしょうか。

 

ちなみにこの3帝国が衰えてくると、心が狭くなり他宗教への圧迫が酷くなります。分かりやすいですね。

 

イスラーム教とよく比較されるのは、キリスト教です。

近年の国際情勢でも、イスラーム教の急進派がキリスト教国の欧米諸国でテロをしかけ、欧米諸国が反撃し戦争になるという事例が多いです。

中世には、キリスト教諸国がイスラーム教諸国に戦いをしかける十字軍というのもありました。

 

この3帝国、特にオスマン帝国は、ヨーロッパから東洋へ行く貿易路をふさいでしまった(通過するとき通行料を払う必要がある。現代でも関税が輸入品に課せられる。この関税を廃止or安くするのが自由貿易です)ため、キリスト教諸国を大いに悩ませます。

そこで国家的な援助によりこのオスマン帝国を経由しない新航路の開発が命じられ、コロンブスら多くの探検家が出航しました。これが大航海時代です。

このヨーロッパ人の世界進出は、貿易路の開発のほかに、キリスト教の布教(つまりイスラーム教への反撃)という目的もありました。

 

このように、イスラーム教の話が出てくればその頃キリスト教はと、キリスト教の話が出てくればその頃イスラム教はと、常にライバル(笑)の存在を意識することが重要です。

 

”自”(P24の16行目に初出)

「自」の反対語は、「他」です。自分・自己と、他人。

自というと、自由とか自治とかの語が思い浮かびます。

 

この3帝国は、統治者の自分とは異なる他の者たちに対し、自由や自治を認めました。

 

普通の人は、皆、ジコチューです。

というか、他人に対し思いやる気持ちを持つには、まずは自分・自己がしっかり確立している必要があります。

自分に余裕ができて、初めて他人に配慮することができます。

 

この3帝国は、つまり繫栄していたので余裕しゃくしゃくだったというわけですね。

 

”首都”(P24の17行目に初出)

首都の対照語は、地方です。

 

この3帝国は、特に首都が国際色豊かになり大繁栄しました。

「イスファハーン(サファビー朝の首都)は世界の半分」(P25右上の写真)

 

さて、この3帝国の首都以外の国内各地域は?

まあ、ここがこの3帝国の限界でしょう。

いくら繫栄しているといっても、16世紀です。

この国々も、地方に行くとヨーロッパと変わりありませんでした。
皆、狭い村(良くて隣村同士)内で一生を過ごしました。

 

現代日本でも地方だと、駅前はビルが林立し大都会みたいですが、少し歩くと田畑が広がっているということが多いです。

それは一概に悪いことではなく、狭い範囲にスーパーや医院や市役所が集中していると生活しやすいという利点もあります。

ただやむをえない事情により各地に残って生活している人たちにとっては不便さが増していて、地震で道路が寸断されると孤立が多数発生してしまっています。

 

”輸出”(P25の9行目に初出)

輸出(外国に物品を売る)の反対語は、輸入(外国から物品を買う)。

しかしこの単元の中に、輸入という言葉はどこにもありません。

その理由は、この3帝国は輸入の必要が無いからです。一国で、国民生活に必要な物資を確保可能で、自己完結できるからです。

 

現代でいうと、この自己完結できる国の代表がアメリカ合衆国です。

米国は自己完結できるので、米国民の多くは伝統的に海外の諸国との関わりを持つことを嫌います。これを孤立主義とか、米国第一主義とかいいます。

ただ米国は世界の大国なので、世界政治や世界経済に対し一定の責任を負っていることは間違いなく、このため米国民の中には国際主義を主張する人たちも多くいます。

しかし近年は米国にも余裕がなくなり、自国第一主義がメインになってきています。

 

この3帝国が輸出する物品たち(生糸や綿織物など)は、いずれもかなり高度な技術によってつくられた優れものでした。

当時のヨーロッパ諸国も同じような物品を作っていましたが、まったく太刀打ちできませんでした。

3帝国は輸出超過で大もうけ、ヨーロッパ諸国は輸入超過で劣勢でした。

 

ふと、現代日本が気になりました。

過去、経済大国などといわれていましたが、国民生活に必要な物資の多く(原油・鉱産物・小麦など)を輸入に頼ってしまっています。

輸入先で戦争や紛争が起きたら、日本経済はひとたまりもなく崩れ去ってしまいます。

日本にとっては、世界平和が必須条件なのです。

 

”綿織物”(P25の17行目に初出)

織物には、綿織物の他に、絹織物、毛織物、麻織物というのもあります。

原料別の分類です。

 

綿織物の原料は、綿花(コットン)。植物繊維。

絹織物の原料は、蚕(かいこ)が桑の葉を食べ口から吐く生糸(シルク)。植物由来の動物繊維。

毛織物の原料は、動物の毛。羊の毛(ウール)が代表例。

麻織物の原料は、麻。植物繊維。

 

綿織物・毛織物・麻織物は、原料となる動植物が多くいるので、古来一般的な繊維製品です。

絹織物の生産は難度が高く、その製品は高価です。

 

この3帝国のうち、インドのムガル帝国産の綿織物は手織りであるにもかかわらず技術が半端なく高度で、当時のヨーロッパ人を驚愕させ魅了させました。(教科書P36左下の写真)

しかしハングリー精神にあふれるヨーロッパ人は、リベンジを決意していました。

「いつかインド産よりも良質な綿織物を作って、見返してやる」

 

しかしリベンジするのに、200年もかかってしまいました。

18世紀後半の産業革命です。

蒸気機関で動く織機を発明し、質の良い綿織物を大量生産し安価で販売し巨利をあげ、インド産を圧倒したのでした。

 

ちなみに付け加えで、繊維製品の製造工程を書いておきます。

 

糸を作る・製糸(蚕から糸を取り出し、数本を
        より合わせる)

    ・紡(つむ)ぐ(羊毛や綿花から糸を
      取り出し、数本をより合わせる)

⇒織る(糸を縦横に組み合わせて布を作る)

⇒晒(さら)す(布を漂白する)

⇒染める(色を付ける)

⇒仕立てる(糸を使い裁縫していろいろな製品を作る)

 

まとめ

1つの単元だけで、これだけの歴史的思考の分量になります。

パートナーのいる言葉は、奥がかなり深いですね。(人間と同じカップルパワー)

ただこういうふうに思考をするには、かなりの知識量を必要とします。

書いていた私も、あちらこちらをいろいろと調べました。

「思考をするには、知識が必要」と痛感します。

 

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(メインテーマを理解するには、ひとまず固有名詞や歴史用語を脇に置いておくというのが重要です。しかしそういう知識が不要かと言われると、必要です。歴史的思考の予備知識としても必要ですし、定期テスト対策にも必要です。年号や世紀は、重要な目安になります。覚えにくいので、語呂合わせが有効です)

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歴史総合学習法2イスラーム3帝国(2)

注意

ブログ主の私がここで書いている内容は、あくまで私個人の独断と偏見によるものです。そのことをご了承ください。

 

参考資料・引用元

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版のP24~25「イスラーム3帝国」を参照しながら、そのメインテーマの容易な把握方法を解説していきましょう。

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

繰り返し出てくる言葉のチェック作業の留意点

前回紹介したこの作業は、多くは2字で構成されている熟語単位ではなく、1字単位で行うようにしてください。

かなり細かい作業になります。1単元の内容が多いとなかなか大変な作業になってしまいます。

また、この作業の段階では固有名詞や歴史用語も含めて、繰り返し出てくる言葉をチェックしてください。

そうやってチェックした言葉たちをつなげて作文をしてください。

 

歴史総合の授業の受け方

なおこの作業を予習段階ではなく、授業中に行うことも考えられます。

その際は教科書の文章を要約したプリントを教師が作成し、授業で生徒さんに提供するのがよいでしょう。作業時間を短縮するためです。

 

授業段階では、討論形式にしろ、問い形式にしろ、座学形式にしろ、どの形の授業でも予習した結果が理解に深みを増すと思います。

 

座学形式の授業では、担当の先生方が内容の要旨を用いた作文の結果を板書ないし口述してください。

予習を終えた生徒さんたちは、自分が把握したものと先生の説明が合致しているかどうかを確認します。

この場合、担当教師がここに挙げている方法を意識しなくても、教えるときは自然にここで挙げた方法で把握できるメインテーマを強調して板書するか口述します。

もしメインテーマを板書しない口述しない(固有名詞と歴史用語だけを教える)という教師がいたら、その教師は残念ながら歴史を教えるプロではありません。
そのときは諦めて、参考書や塾を使い自力で独学してください。

 

討論形式や問い形式の授業は歴史的思考力を育成することを目指しますが、座学により必要な知識をインプットした後に行うのが望ましいと思います。

基礎知識がないと、討論や問答をしても深みのない薄っぺらな内容になるからです。

 

試験対策

大学受験を目指している人は、この作文に添える形で固有名詞や歴史用語を位置づける学習を行います。

担当する先生方は、そのように指導します。

繰り返しますが、固有名詞や歴史用語はメインテーマに添えるという位置づけです。

大事なことなので2度言いました(笑)。

 

定期テストの対策勉強においても同様の学習をしますが、固有名詞や歴史用語をメインに位置付けて暗記してください。

大学入試では固有名詞や歴史用語を直接問う問題は少ないのですが、定期テストではそういう問題が出されることが多いからです。

 

前回からの続き

"帝国 繁栄 内 外 教徒 自 首都 輸出 綿織物"

教科書から抽出に抽出を重ねて取り出したのが、この言葉たちです。

 

用語を問う問題対策の基本学習は、抽出の第一段階(固有名詞や歴史用語を含めての繰り返し出てくる言葉)で作文すれば良いです。

記述式問題対策のメインテーマ学習は、抽出の第二段階(固有名詞や歴史用語を除外したもの)で作文してください。

 

そして抽出の第三段階により抜き出したのが、上記赤字の教科書からの引用言葉群です。

これらを使って作文してもよいのですが、この言葉たちはいわゆる歴史的思考力を育成する目的で抽出したものなので作文することにあまり意味はありません。

あえて作文すると、次のようになります。

 

16世紀アジアにはイスラーム帝国繫栄した。

この国々は国イスラーム教徒以外の民族・宗教教徒治を認めるなど寛容で、海との貿易も綿織物輸出など盛んで首都は国際都市化していた」

 

作文するには、ちょっと無理がありますね。

紫色の字は、教科書内で繰り返し出てくる言葉です。

こういう言葉を入れないと作文は難しいです。

 

歴史的思考力の育成

 

"帝国 繁栄 内 外 教徒 自 首都 輸出 綿織物"

 

この言葉たちを選んだ基準は、その言葉と対立する語や比較できる語が連想可能なものというものです。

 

例えば、”帝国”

参照教科書P24の10行目に初出。繰り返し19回も出てくる。

ちなみに、本文だけでなく、補足書きや参考地図や参考写真の説明文もチェック

世界史上そのように称する国が古今東西非常に多くあります。

しかしそれらは皆異なる意味(異民族支配という意味が一般的だが)で称していることが多く、その比較が可能です。

 

イスラーム帝国は、唯一神を信奉する神の国の最高国家というものです。

だから普通は、ムハンマドの後継であるウマイヤ朝アッバース朝を指します。

ここに出てくる3帝国も当時のイスラームの最高国家を自称していますが、歴史学的にはイスラーム3王朝と呼びます。

ただ3帝国のうちオスマン帝国ムガル帝国は諸国王の上に君臨する意識を持ち、サファビー朝はシーア派としてスンナ派オスマン帝国に対抗心を燃やしていることから「(諸民族を支配する)帝国」といってよいでしょう。

 

古代ローマ帝国は、キリスト教を信奉・保護する神の国の最高国家がヨーロッパ諸国の上に君臨するという理念です。

この理念は、その後長くヨーロッパの諸国の君主たちに意識され、神聖ローマ帝国ビザンツ帝国ロシア帝国、ムソリーニらにつながります。

 

また大日本帝国は、東アジアの諸民族を支配することをめざした国号です。

 

「帝国」というと皇帝が君臨する国だと連想しますが、王国との違いは何か?という連想もできますね。

 

ちなみに現在の日本は「日本国」と称していますが、実態は「日本王国」または「日本皇国」でしょう?

なぜ「王」や「皇」の字を国号に入れていないと思いますか?

考えられる理由は、民主主義を強調したいとか、そういうことはオブラートに包んでぼかすべきだという日本国民の伝統意識とかです。

 

このように国名・国号は、その国の人たちや君主の意識や理念を表していることが多いのです。

 

以上だけでも、かなりの分量の歴史的思考(歴史に思いを馳せる、現在とのつながり)が可能です。

このような思考の可能性のある言葉を文章中から発見し、追究していくという手法が、私の提案する歴史学習方法です。

追究の手段はいろいろで、教科書や参考書を利用し自分で考えてもよいし、他人と討論してもよいし、教師と生徒で問答してもよいのです。

 

ただ高1段階では、自力で上記のような諸地域・諸時代にわたる思いの馳せ方は不可能といえます。

高3履修だったとしても、知識量が少なく難しいのではないでしょうか。

教育現場の先生方もそのことをよく分かっているので、実際に各高校で行われている歴史的思考力授業の内容もかなり大ざっぱで抽象的なものになって(その結果として定期テスト対策に多くの生徒たちが悩む)いるようです。

こういう授業を生かすには、ここで提案した方法で予習をすることが必須です。

 

他の言葉の、歴史的思考の追究

"帝国 繁栄 内 外 教徒 自 首都 輸出 綿織物"

 

繫栄

と続けたいところですが、長くなってしまいましたので次回に持ち越すことにします。

 

広告(この用語集は探究レベルで網羅しているので、歴史総合だけでなく世界史探究科目の理解にも功を奏します。
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歴史総合学習法1イスラーム3帝国(1)

このブログの趣旨

高校で学ぶ歴史科目の各単元について、歴史的思考力を育成できるような学習方法を解説するものです。

それは同時に、大学入試対策にもなり、さらに歴史に興味を持つすべての人にとり比較的容易に理解に至るという手法です。

 

ここで取り上げる歴史総合の困難性

この科目は最近新設されたもので、日本史と世界史を融合したもののうち近現代史を歴史的思考力の育成をメインに学ぶ内容になっています。

そのため学習方法に悩む人が非常に多いというのが実情です。

高校の先生方の多くが指導方法に悩み、その研究発表授業の例を見るに主題学習を重視しそのための教科書や教材を用意するものが多いです。

また歴史総合の教科書の多くが前の時代の内容無しに(簡単には触れられていますが)いきなり「16世紀の世界は」などとスタートするので、高校の生徒さんたち(歴史総合科目の相当学年は高1)にとっては戸惑うだけでなく学習方法も分からないという状況になっています。

 

歴史的思考力は実は日常の授業や学習で育成可能

ブログ主の私は、高校で歴史担当の教師をしていた経歴を持っています。

勤務していたその頃既に歴史的思考力の重要性が叫ばれていましたが、私自身もその指導方法が分からず知識偏重の指導に陥っていました。

その後大いに反省し研究を重ねた結果、歴史的思考力は月一回程度の主題学習ではなく、日常の授業や学習の中で十分に育成可能だと確信しました。

そのための指導方法や学習方法のノウハウもほぼ確立しています。

ただ私は現在教職に就いていません。

そこでこのような全国津々浦々の悩める先生方や生徒さんの指導や学習の一助になればと、このようなブログを立ち上げた次第です。

 

今回はその第1回になります。

 

参考資料・引用元

山川出版社2021年検定済2023年3月印刷発行の(つまり最新版)、『歴史総合 近代から現代へ』です。

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/


ブログを読む際はこの教科書がお手元にあれば該当ページを開いてください。

参照するのは、他の教科書や参考書でも良いです。

また教科書類が身近になくてもこのブログ記事だけで十分理解可能だと思います。

 

教科書のP24~25が今回および次回の内容です。

 

その前に予習のすすめ

できればここでブログを読むのをいったん止めて、予習をしてください。

当該教科書をお持ちの方に具体的な予習の方法を伝授します。

また他の書籍やwikipediaの項目を読んでもいいと思います。

 

学習の第一歩は冒頭文

この最初の単元(タイトル名のある最小の項目)のタイトルと冒頭文を読みます。

把握することは、前の時代とこの時代の特定です。

 

しかし残念ながらいきなり16世紀から始まるので、前の時代の記述がありません。

教科書の前のほうに簡単な記述がありますが、大ざっぱすぎて参考になりません。

P24の冒頭文に

"16世紀の西アジア・南アジアでは…3つのイスラーム帝国が並立"

とあるので、それを裏返し「前の15世紀まではこのような大国は無かった」というふうに無理に読めることは読めます。

 

これはこれで、かなり重要な前提知識にはなります。

 

具体的には、15世紀まではこのような大国たちが無かったので、西のヨーロッパ人は東の中国やインドに容易に(通行料を払わずに)行くことができたということです。

16世紀になると東に行くのに通行料を払う必要が生じたと。

通行料があるかないかは、貿易商人(安く仕入れて高く売りたい)にとっては死活問題といえますね。

 

しかしこのような理解は予備知識がある人には容易ですが、高1の生徒さんには予習段階では不可能といえます。

 

歴史は前後関係が主要テーマ(歴は並べるという意味。史は字という意味で、歴史とは字が順序良く並んでいるという意味です)なのに、これはまずいですね。

歴史総合という科目を近現代史かつ高1履修にしたことの最大の短所です。

 

学習の第二歩は内容の把握

[固有名詞や歴史用語は軽く]

冒頭文を読んだら、次に内容を読みます。

 

初めて見る固有名詞や歴史用語が多数出てきます。

歴史総合や世界史を将来大学入試科目に選んでいる人は、一問一答問題集や用語集などでこれらをチェック(チラ見)してください。

それ以外の人は、固有名詞や歴史用語は教科書チラ見だけで十分です。

 

用語のチラ見を終えたら、中身を読むのですが…。

初見では内容(この単元のメインテーマ)の把握は難しいと思います。

 

段落ごとの内容をざっくりと把握]

大ざっぱな内容は、段落ごとに見れば分かります。

 

この単元内には5つの段落があり、第一段落は中身の大ざっぱな内容、第二段落はオスマン帝国、第三段落はサファビー朝、第四・第五段落はムガル帝国です。

 

勘のいい人はここで一つの疑問に気づくことでしょう。

この3か国をなぜ1つの単元にまとめているのか?

この3か国には何か共通点があるのではないか?

 

そこで第一段落を見れば、その共通点の大ざっぱな内容が記されています。

この教科書はかなり親切で丁寧です。

さすが『詳説世界史・日本史』の流れをくんでいるだけあります。

 

[単元のメインテーマを容易に発見可能な方法]

しかしメインテーマの把握はそれだけでは足りません。

雑多な内容の中からどうやって見出すか。

 

そこでブログ主の私が、メインテーマ把握のとっておきの方法を伝授しましょう。

なお別に秘伝ではありません。

長文読解が得意な人が普通にやっている方法です。

文章中に繰り返し出てくる言葉をチェックする

この単純な作業だけで、容易に要旨を把握できます。

 

なぜ把握できると思いますか?

人は、論理的に話したり文章を書いたりするときは、必ず大事なことを2度以上繰り返す傾向があるからです。

よく言うでしょう?

「大事なことなので2回言いました」と。

読み手が、書き手のそういう心理状態を利用して文章を読み解くのです。

 

教科書が汚れるのは嫌だと思う人はコピーするか、山川出版社のインターネット販売でもう一冊購入するかしてください。

数百円なので購入したほうがお得です。

 

[抽出した言葉群からさらにエッセンスを抽出]
チェックができたら、その言葉たちの中から抽象的な言葉をさらに抜き出します。

 

固有名詞や歴史用語が気になりますが、スルーしてください。

そのさらに選りすぐって抜き出した言葉たちが、この単元のメインテーマです。

 

抽象的な言葉たちを抜き出す理由は、普遍化が可能な点にあります。

固有名詞や歴史用語がその単元の中や似た分野の中だけで意味を成すのに対し、抽象的な言葉はいろいろな時代、いろいろな場所に共通の意味を持つからです。

特に、現代の自分たち学習者の思いに通じるものがあります。

(もう一歩先の学習として、さらにここから一定の特徴のある言葉たちを抜き出す段階があります。

この言葉たちこそが、歴史的思考力を育成する可能性があるキーワードですが)

 

[作文をする]

次に、抜き出した言葉たちを使って作文をします。

教科書を見ながらやってもいいし、教科書を見ないで持てる知識を総動員してやってもいいです。

 

言葉同士の関係を把握するのが目的です。

ここまでが、予習段階です。

 

なお受験のため授業で習っていない箇所を学ぶときは、この先も自力でやる必要があります。

 

学習の最終段階

歴史的思考力の育成

このブログでは、この単元のメインテーマとなる言葉たちの中から、さらにキーワードを抜き出しそれについて歴史的思考力の育成を主眼に解説したいと思います。

 

私がこの教科書のP24~25の繰り返し出てくる言葉たちの中から、ある特徴を手がかりにさらに抜き出したキーワードは

"帝国 繁栄 内 外 教徒 自 首都 輸出 綿織物"

になります。

 

いったいどういう特徴のある言葉たちでしょうか?

考えてみてください。

この続きは、ブログの次回に書きます。

一応ヒントを示しておくと
「言葉は、人と同じく独りでは生きていけない」。

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(探究レベルで網羅しているので、歴史総合のほか世界史探究の理解にも役立ちます。
定期テスト対策に直結するほか、歴史総合の討論や問答授業の予備知識も得られます)

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