rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

歴史的思考7歴史総合 江戸時代の日本(1)幕藩体制

参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P27(32行目)~P28(19行目)「幕藩体制下の日本」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

歴史総合科目の特色

近現代史を中心に世界史と日本史がごっちゃ混ぜ、ということです。

互いに深い関係があればいいのですが、ざっと見た限り普通の外交・貿易関係ですね。

覚える内容がグローバルに果てしなく広がって、負担が増しているような気がします。

大学入試問題でも世界史と日本史の混合問題が出ていますが、無理なこじつけ感が…。

 

①冒頭文

前の時代は…

豊臣政権で

秀吉につぐ有力者であった徳川家康

この教科書のP27の32~33行目に、親切に書いてくれています。
さすが自分の国の歴史を大事にしています。

時はまだ戦国時代。
下剋上の風潮がまだ残っています。

政権が安定し、有力者といえど政権を覆す隙がなければ、下剋上は難しいでしょう。
しかし豊臣政権は、不安定でした。

そしてこの時代、有力者徳川家康がついに下剋上を成功させ、政権を奪いました。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

日本史は世界史に比べて論理的な内容ではないので、この手法が通用するかどうかですが、一応やってみましょう。

なお歴史的思考のほうは、じゅうぶんに可能です。

将 軍 幕 府 城 藩 体制 領 国 支配

教 禁止 交代 参 船 来航 

宗 檀 寺

固有名詞は省いていますが、幕府・領国は微妙なので分解しました。

1段落目は、どうやら政治体制の説明のようです。
2段落目は、宗教や貿易に対する政策のようです。
3段落目も、宗教関連みたいです。

政治体制は、軍の最高司令官が陣幕を張った場所(幕府)で行政を行うものです。
そして全国の諸城を中心とした諸地域を服従した者たちに与え、藩(区分という意味)に分けそれぞれの責任で支配させる体制でした。

政策の基本は「禁止」で、一部の宗教は禁止、藩の責任者が支配地域に留まることを禁止し(一年交代で幕府がある地に参上せよ)、一部の船の来航を禁止しました。

民の把握には仏教寺院を利用し、民全員が宗派別の檀に登録されました。壇というのは仏教の儀式を行う一段高い台のような場所(つまり寺院を意味する)のことです。

 

・軍事政権である

服従した藩の責任者(前の時代に各地に割拠していた軍人たち)に自治を認める

・宗教や貿易に対する強い制限政策をとる

・藩の責任者の行動への厳しい規制を行う

・民に対しても宗教などで厳しい制限がある

前の豊臣政権にはなかった非常に強力な統制政治です。

自治を認めると言っておきながら自由な行動を許さない点で、事実上の中央集権です。

特に宗教と貿易に対しては、異常なくらい厳しい制限を加えています。

 

③思考を促すような言葉をピックアップし思考する

将 軍 府 領・支配 教 禁止 交代 参 来 宗 寺

いっぱいありますね。
日常の学習では、ここまではなかなかできないと思います。
余裕があれば、挑戦しましょう。
既習の方は、②でちょろっと復習し、③に進むとよいでしょう。

分量がかなりあるので、興味のある項目だけ読むのもいいでしょう。

*「将」

とくれば、兵。
戦争は武将だけではできません。
多数の兵士が必要です。

この平和になった時代、兵士はどうなったと思いますか。

各藩の藩士になった人は、全員、騎乗の武士つまり将官でした。
兵士の中には主人についていき、藩士の側仕えになった者もいます。

しかし多くは、帰農つまり農民に戻りました。
戦国時代の兵士の大多数は、農民だったのです。

戦国時代は農民身分でありながら戦争に参加し、才能を見せると将官つまり武士に取り立てられるのが普通でした。
豊臣秀吉の出世は、実は普通のことだったのです。

この江戸時代になると、「農民が武士になるのは禁止!」になりました。
これが、身分制度の確立と呼ばれるものです。

*「軍」

軍の対照語は、民。
軍政・民政という使い方があります。
政策の傾向は、どう違うでしょうか。

軍政は、軍事力を背景にしているため、命令を聞かない相手に対し武力に訴え無理強いすることが多く見られます。
武断政治といいます。

これに対し民政は、命令を聞かない相手に対し説得や法的措置(裁判に訴える)により納得させます。
文治政治といいます。

どちらのほうが理不尽でないか、一目瞭然でしょう。

江戸幕府は軍事政権でありながら、その後大きく政策転換し文治政治を行い結果260年余り政権が続きました。
もちろんその前提として、各地の大名を厳しく統制することで軍事力を弱体化させ、その完了を見て満を持して文治政治に転換したのです。

軍は軍事力を背景に暴走することが多く、無用の戦争を引き起こす傾向があります。
現代の世界諸国では、軍の暴走を止めるためシビリアンコントロール(民による制御)という仕組みが作られています。
徳川氏とその家臣団が、いかに優れた見識を持っていたかが分かります。

*「府」

現在の日本の地方公共団体として、都道府県があります。
都道府県の間に上下関係はなく、府はそのうちの一つの種類です。

しかし歴史的にみると、府は特別な存在です。
府とは、役人が集まって事務を行うところという意味、つまり首都を意味します。
「幕府」「政府」、共にそういう意味です。

これは、明治維新のとき徳川氏の旧直轄領の多かった地域を、とりあえず3つの府(東京府京都府大阪府)にまとめた経緯に由来します。

*「領」「支配」

これは動詞です。つまりAがB(の住む地域)を領する、AがBを支配するというふうに使います。

Aは誰ですか?Bは誰ですか?これを明確にする必要があります。

日本語はとかくこの人物特定をおろそかにします。
日本の組織に責任逃れ、誰が責任者か分からないということが多いのは、こういう言葉の使い方に由来するのかもしれませんね。

ここでは、Aは江戸幕府です。
Bは、江戸幕府以外の全ての勢力です。大名、朝廷(公家)、農民・商人・職人。

こういうふうに人物を特定すると、江戸幕府の支配が比較的困難だったことが分かります。
自分たち以外は全員、敵ですから。
だから、禁止だらけの厳しい統制策をとったのです。

現代の日本はじめ諸国の政府も、大人数の国民を支配することがとても困難といえます。
現代は強圧的な政治ではなく、説得を試みる民主政治です。
しかしその説得に失敗する危険が非常に大きいという、綱渡り的な状態といえます。
民主的な態度をいかに保つかが、説得の成否を決めます。

*「教」

宗教ですね。
江戸幕府は、宗教政策を大きな特色の一つに位置付けていました。
その方法は、キリスト教の禁止(禁教)です。

ただ宗教というのは人の内心の持っていき方であって、その心の中を禁止することはもちろん物理的にはできません。
だから宗教の規制は、リアルにはその宗教団体(信者の集まり)の活動を禁止するという形をとります。
表立った宗教活動を禁止すれば、少なくとも布教は防ぐことができるし、信者が集まることによる信仰の高まりも防ぐことができます。

さて、江戸時代の他の宗教はどうだったのでしょうか。保護されて大いに盛り上がったのでしょうか。
仏教が政治的に利用されたのですが、実は仏教寺院もその勢力を削減させられています。
戦国時代に大名並みの実力を持っていた一向宗浄土真宗)は、その本拠だった本願寺を二つに分割させられました。東本願寺西本願寺です。全国の一向宗寺院たちも、この東西に振り分けられました。

このように他の宗教に対しても江戸幕府は、規制を加えていたのです。
けっきょく、自分たち以外の全てを敵とみなしていたのですね。

*「禁止」

政権が国民を支配するときもっとも多用されるのが、この方法です。
とてもシンプルで、容易だからです。
現代の日本にも、独占禁止法とか、駐車禁止とかいっぱいあります。刑法は、犯罪禁止法です。
学校の校則も、「何々(髪を染める、パーマをかける、上着やズボンを長くする、アルバイトをする、バイク通学をするなど)してはいけない」の羅列であることが多いでしょう。

自由にしてよい、と言ったらどうなるでしょうか。

現代の日本国憲法には、いろいろな自由が定められています。
その代表が、表現の自由
人は、自由に意見を発表してよい、自由に小説や漫画を作ってよい、などです。

すると、みな自由にやりたい放題になり他人のプライバシーを侵害したり、過激な内容の作品を作ったりします。
これを防ぐため、憲法には「公共の福祉による自由の制限(自由の一部禁止)」という定めがあります。
公共の福祉というのは、要するに他人に迷惑をかけるなという意味です。
本当は、完全な自由が最も望ましいのですけれどね。
人は、どうしても悪の道に走ってしまう傾向があるようで・・・(人は元来ワルであるという考えを、性悪説という)

*「交代」

参勤交代は、大名が領地に居着いてその地域の農民や商人と親密になることを防ぐ目的でした。
民と親密になり団結して江戸幕府に反抗することを、恐れたのです。

江戸幕府は、幕府の重要な役職の多くにこの交代制を採用しました。
例えば老中は常に4,5人、町奉行は常に2人いて、月番といって主担を一か月務め’他の人は副担になる)た後、交代するという形でした。
権力が独りに集中することを防いだ、巧妙な方法です。

しかし現代の制度は残念ながら、この江戸幕府の長所を全く採用していません。
独りの社長・市長・町長が十年二十年と居座り続け、弊害が酷くなることも多いです。
「権力は腐敗する」ということわざがあります。
腐敗しないまでも、雰囲気が固まりマンネリ化し覇気が失われサービスが低下します。

ちなみに江戸時代の参勤交代により、江戸で流行したことが一年後に全国津々浦々に伝わりました。
地方の片田舎にまで長崎から細々と流入した蘭学が普及し、多くの偉人が地方から誕生しています。

*「参」

これも、動詞です。どこからどこへ参るのでしょうか?

参るというのは、下から上に行くという意味です。
「上」には、地位のほかに、心のよりどころ、晴れ舞台、尊敬すべき場所という意味もあります。
「正義の味方、只今参上」と言ったりしますね。

参勤交代は、大名が各地方の領地から幕府のある江戸に行くことです。

ちなみに「参」の反対語は、「罷(まか)る」です。
人が亡くなることを「みまかる」ともいいます。
また「まかり通る」というのは、何か良くない(参ってほしくない)ものが堂々と行き交っているという意味です。

こうなってくると、歴史的思考というより国語の学習ですね。
最近は、国語と社会の総合問題も大学入試で出ています。

*「来」

ここでは来航という意味で使っています。
船で海外から来るということです。

江戸幕府は、外からくる船のうちオランダと中国は許可し、それ以外の国(イギリス・スペイン・ポルトガル)は禁止しました。
この差は、同じキリスト教国でも、スペイン・ポルトガルカトリック宗派、オランダはプロテスタント宗派という違いにあります。
カトリック諸国はキリスト教の布教目的を、侵略と併用することが多かったのです。この2国は特に戦闘的でした。
プロテスタント諸国は、政治と宗教を区別していました。

ただオランダも、現在のインドネシアに広大な植民地を作っています。
途中で撤退したイギリスも、同様に各地を侵略する目的がありました。
この2国は、日本に対し侵略をしないという態度をとっていただけなのです。

来るの反対語は、「(海外に)行く」です。
江戸幕府は、日本人が出国すること、帰国することも禁止しました。
江戸時代初期に東南アジアに行った山田長政が、そのまま現地で一生を終えた話は有名です。
嵐で流された漂流民は例外で、役人が厳しく取り調べたうえで帰国を許されました。ジョン万次郎など。

*「宗」

宗教の中は、考えの違いからいくつかの宗派に分かれていました。
上記のキリスト教の2大宗派、仏教の各宗派などです。

一口に仏教といっても、中身は多種多様です。
日本史では、鎌倉時代に成立した6大宗派が代表的です。
出家を重んじる浄土宗、俗生活を許す浄土真宗、政治改革を目指す日蓮宗、ダンスパフォーマンスの時宗、座禅し問答する臨済宗、ひたすら座禅する曹洞宗です。

それぞれの宗派の中も、さらに各派に分かれています。
浄土真宗だと、西本願寺派大谷派に分かれます。臨済宗には15の分派があります。

浄土真宗は別名一向宗で、室町時代に大勢力となり戦国大名たちと抗争しました。
日蓮宗は、鎌倉・室町時代に普及し、現代では政界にも進出し閣僚を務めています。
臨済宗は、室町幕府と政治的に結びました。一休さんが有名です。

*「寺」

とくれば、神社は江戸時代は?
あることはありましたが、仏教が幕府と結んだため、神社は風前の灯火になりました。

しかし江戸時代後期に欧米諸国の船が近海に現れると、「日本は神国だから侵略されない」という元寇時代の思想が注目され神道が隆盛することになります。

民間ではこの時代少雨傾向で飢饉が多かったこともあり、雨ごい目的の天神さんが全国各地の村々にありました。


広告(鎖国の「鎖」が「閉」ではないということは字をよく見ればわかるので、以前から指摘されていました。しかし多くの人が、鎖国は閉国だと誤解していました。言葉をもっと大事に見てほしいですね)

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