rekisitekishikouryoku’s blog

歴史的思考力を一過性でなく継続的に身につける方法

歴史的思考10歴史総合 ヨーロッパの主権国家体制形成

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』2021年検定済23年発行

P30~P32(14行目)「近代の前提」「主権国家体制の形成」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

冒頭文で時代を特定する

ここは、冒頭文というより、冒頭単元になっています。
後の本文も含めいわゆる黒色のゴシック語が全くなくて、学習者は無味乾燥に思うかもしれません。
しかしこういうところこそ、歴史的思考が大活躍する場面です。

脱線話になりますが、ここまでのスピードを見る通り遅々として進みません。
内容が豊富すぎるからです。
この教科書で実際に授業をした人によると、1年間で3分の1しか進まなかったという声も聞くほどです。
この豊富な内容で歴史的思考をしっかりと深めると、そうなります。
できれば歴史総合科目は、高1だけにとどめずに高校3年間の履修体制にしたほうがよさそうです。

話を戻します。
冒頭単元は、P30の1行目から21行目までです。
文が長いので、ここでは繰り返し出てくる言葉のチェックによりその要旨をつかみます。

近代 ヨーロッパ アジア 世界 諸地域 貿易 18世紀 アメリカ 西 諸国 国々 政治 国家 化 16世紀

冒頭単元なので、固有名詞も含んでいます。
この語群を使って作文をします。

「近代の前の時代(16世紀から18世紀にかけて)の世界は、ヨーロッパ・アジアの諸地域が個々に存在していた。やがてヨーロッパ人が大西洋に飛び出し、アメリカなどに進出。ヨーロッパ諸国は政治が充実し、国家として様々な変化を起こすことになる。」

教科書の内容を踏まえつつ、自分なりに作文してみました。

 

本文の要旨を把握する

では、教科書のP30の22行目からP32の14行目までの中の、繰り返し出てくる言葉をチェックしましょう。
段落ごとに区分し、その語群を使った作文も記します。

16世紀 17世紀 世界 帝国 国家 弱まる 権力 国々

「16世紀に栄えた世界各地の帝国や国家は、17世紀に権力が弱まった。それに代わって台頭した国々があった」

君主 国内 諸侯 貴族 おさえる 関係 国際 主権 体制 王 兼ねる 戦争

「その国々には君主がいて、国内の諸侯貴族をおさえながら、他国と国際関係を築いた。主権国家体制と呼ばれる。しかし王が他国の君主を兼ねるなどしたため、対立が激しく戦争が起こりやすかった」

皇帝 領 権力 議会 統治

「皇帝が存在したドイツでは、国内の領主たちが独立の権力を持っていた。議会が存在したフランスでは、君主が貴族と議会をおさえ統治した」

革命 政 共和 権利 選挙 言論 自由 権限 同意 法 違法 立憲 日本  先例

「イギリスでは2度の革命がおこり、一時的な共和政を経て、立憲君主制が誕生した。それは国民に選挙された議会での自由な言論で作られた法に基づき、君主は議会の同意なく国民の権利を奪うと違法になるという体制で、日本国などの先例となった」

共和国

アメリカや革命後のフランスは、共和国を作った」

東方 海 領土 進出 拡大 清

「ロシアは、海がなかったので東方に進出して領土を拡大し、清や日本を脅かすことになった」

 

歴史的思考を促すような語を抜き出す

弱まる 君主・貴族・諸侯・皇帝・王・領(主) おさえる 国内・国際 主権 戦争 議会 権利 自由 法 先例 共和国 東方 海

今回も、いっぱいありますね。
この後しばらく歴史用語の少ない単元が続きます。
つい飛ばし読みしそうですが、こういう箇所が歴史的思考の活躍どころであり、記述式・論述式問題の出題ポイントでもあります。

*「弱まる」

ということは、かつて強かったものが弱まったということです。

ここでは、西南アジアのイスラーム3帝国や、東アジアの明・清、そしてこの歴史総合では触れられていないヨーロッパ中世の神聖ローマ帝国が、かつて強かった国々です。

神聖ローマ帝国は、古代ローマ帝国とは別の国です。
古代ローマ帝国に憧れその後継を自負しキリスト教会を保護する世俗の代表者が、神聖ローマ皇帝です。
実質は、ドイツ(第一)帝国です。

*「君主・貴族・諸侯・皇帝・王・領主」

国家を構成する人たちがずらりと出てきます。
あれ?国民は?
そうです。ここには、国の大多数を占める民が記されていません。
これは、どういうことでしょうか?

そう、この16~18世紀にかけて台頭したヨーロッパの国々は、君主たち少数の支配者がやりたい放題で、気ままに多数の民を圧迫し重税を課し財産没収し逮捕し処刑し放題でした。
もちろん民の不満が増大し、この後、民による政治革命がおこります。

日本はどうだったかというと、江戸幕府は最初は力づくの武断政治でしたが途中から説得による文治政治に変わったため、民に不満はありましたが、極端には増大しませんでした。
日本で政治革命が起きなかった理由です。

*「おさえる」

各国の君主は国内では諸侯(貴族)の力をおさえ

フランスでは…君主が国内の貴族の力をおさえ

と教科書に記されています。
この前の時代(中世ヨーロッパ)は、君主は諸侯や貴族の中のひとりに過ぎず、一応国を作っていても国内は諸侯の領地が独立の権力をもち分裂状態でした。

なお諸侯は領地を持つ有力者、貴族は君主の宮廷に代々仕える高級官職者です。
高官の多くが広大な領地を所有していたので、両者は一致することが多いです。

この16~18世紀は、君主の力が増大した時代です。

*「国内」「国際」「主権」

この時期のヨーロッパ諸国に共通する特色です。
君主が自意識を高め、国内に対しても、国際的にもその自意識を強く主張しました。
この自意識のことを、国際的に「主権」と呼びます。
「俺が、この国の主だ!他人にとやかく言われる筋合いはない!」という意味です。

「主権」という言葉には、もう二つ意味があります。

一つは、国民主権というふうに使うときの、主権です。
この意味の主権とは、国家の政治の主役は誰か?というものです。

もう一つは、この陸地、この海はどの政府が主として支配しているか?という意味です。領土主権といういい方をします。

この最初の意味の主権は、のちに国家がその存在の独立性を国際社会にアピールするという意味に使われていきます。

*「戦争」

反対語は、平和。
この時代は、戦争ばかりやっていました。君主が互いに自意識(という名の欲望)を主張し合ったのです。

ただこの後、国民主体の国家に変わっても戦争はなくならず、現代も各地で戦争をやっています。
戦争の原因は何なのでしょうか?
具体的には
「お前の土地、いいな?よこせ!」「いやだ!誰がくれてやるか?」
という欲望のぶつかり合いです。
欲を出しすぎです。欲を抑えることはできないのでしょうか?

国内には人々の欲望を抑える、法という仕組みがあります。
国際社会においても、強力な効力のある法を作る時が来ています。

*「議会」

人々が集まり話し合って問題を解決する場を会議と呼び、その国家レベルの場を議会と呼びます。
これは、君主が気ままに問題を解決しようとすることの、対極にあるものです。

フランスでは…君主が…議会も開かずに権力を自身に集中して

と教科書に書いてますね。
両者が対極にあるということが分かりやすいです。

この時期の議会は、あくまで君主の政治を助けるとか、貴族・諸侯の不満を和らげるという意味しかありませんでした。
それでも君主にとっては邪魔な存在だったのです。

*「権利」「自由」

現代でよく使われる言葉が出てきました。
みんな気軽に、その本当の意味を知らないで使っている人が多いです。
他人の悪口をSNSに載せ批判されると「自分には表現の自由がある」と反論したりしています。

まず言葉の意味ですが、どちらも自然のままの状態では存在しない概念です。
どちらも自分を妨害するような強力な存在が立ちはだかったときに、その存在に対し「自分には何々の権利がある」「自分は何々から圧迫されない、自由だ」と主張するという形で出てきます。

そしてこの言葉たちの矛先であるその強力な存在とは、何か?
国家権力です。
どちらも国民が国家に対し主張するものです。
国民同士で主張し合うものではありません。
この言葉たちの初出が、この時期の君主の気ままに対抗するものだったのです。

国民同士が互いに自分の意見を主張し合うことは許されるのですが、それは権利とか自由とかの強力な(他人を屈服させる)主張ではなくて、互いに信義に基づき誠実に行って(民法1条)折り合いをつけるべきだとされます。

*「法」

一般的にはルールのことですが、歴史的にはこの時期の終わりころのヨーロッパに出てきます。
実はイギリスでは、11世紀に早くもその萌芽がありました。

法も、権利や自由と同じく目的があって存在するものです。
君主が気ままにやりたい放題をするのを阻止するため、議会が作ったルール。
これが、法の歴史的な意味です。

この意味の法というと、日本史では古代の律令がそういう意味を持っていたというのがあります。
当時の朝廷は神権政治に近く天皇や政権者がやりたい放題にする傾向があったのですが、藤原不比等らがこれを阻止するため導入したのが律令つまり法だったのです。

*「先例」

というと、保守的な人たちがかたくなに守る慣習のようなものというイメージがありますが、これがあると非常に便利になります。
トラブルがあったときにそれを苦労して解決したその過程を記録に残しておけば、後で同じようなトラブルが起きたとき迅速に解決できるからです。

現代日本にも最高裁判所判決例判例)というのがあり、それは法律と同じ意味があるとされています。
過去に、最高裁判所が「この法律は憲法違反だ」と判断したことにより、国会がその法律を最高裁判所が示したとおりに改正したことが何度もあります。

鎌倉幕府御成敗式目室町幕府建武式目、江戸時代の大岡裁きも、過去の裁判例を参考にしたものです。

*「共和国」

共和政というと、古代のギリシアのポリスや、古代ローマ、中世のイタリア半島の港町や、戦国時代の堺などを連想します。

しかし、この時期に現れた共和国は、その古代中世の共和政と異なる次元のものです。

古代や中世のものは、貴族たちや豪商たちといった支配層が作った協議の場です。
それに対しこの時期のものは、国民が従来の王政や貴族支配を打倒して新たに始めたものです。
この共和国という語も、前の「権利」「自由」「法」と同じく目的によって存在している言葉です。

*「東方」「海」

出ましたね。東方といえば、西方・北方・南方を連想します。
東方は、ロシアが冬も凍らない海港を求めて進出した方角です。

当時のロシアは現代のモスクワ付近しか領土がなく、周囲を強国に囲まれていました。
西方は西ヨーロッパ諸国、南方はオスマン帝国、北方は一年中凍っている北極海
ロシアが進出する方角は、東方しかありませんでした。

ロシアも、他国と同様に海外貿易を望んでいました。
同様の状況は日本の戦国時代にもあり、甲斐の武田信玄が海港を求めて北の上杉氏、南の今川氏と抗争したというのがあります。

 

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歴史的思考9歴史総合 江戸時代の日本(3)琉球・アイヌ

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P29(17行目)~(34行目)「琉球アイヌ

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

単元の冒頭文

今回は2つの国家(ないしその初期形態である地域共同体)についての説明なので、2段落それぞれに冒頭文が記されています。

琉球王国はかつて明に朝貢する独立国で、日中両方の影響を受けた独自の文化をはぐくんでいた

蝦夷ヶ島と呼ばれた北海道では、アイヌの人々が独自の言語をもち、鹿・熊・海獣などの狩猟や鮭・鱒などの漁労を中心とする生活文化を築いていた。

現代では、それぞれ日本国の領土内にあります。

琉球王国は、日本人が南西諸島に作った、大和朝廷由来の日本国とは別の独立国家です。

アイヌは、古代縄文人と北方民族が混血し形成されたといわれる民族です。
国家を形成しておらず、有力首長たちの連合共同体でした。

この2つは、江戸時代の日本にとり、外国と扱ってよいでしょう。

 

単元の本文に繰り返し出てくる言葉の把握

琉球王国

支配 藩 王国 朝貢 貿易 砂糖 商人 昆布

江戸時代も王国として存続し、従来通り中国王朝に朝貢する形の貿易を続けました。

しかし実際は、王国全体が薩摩藩支配下に置かれていました。
王国の存続は、中国との貿易を続けさせるための方便でした。

日本の商人が貿易を取り仕切り、琉球特産の砂糖を本土に送り、蝦夷地特産の昆布を琉球を通じ中国に輸出していました。

アイヌ

支配 権 交易 鮭 昆布 ラッコ 皮 商人

アイヌは形式上は松前藩支配下とされましたが、松前藩アイヌを支配せず交易するにとどめたので、独立を維持し(19世紀になると江戸幕府の支配が始まる)、松前藩や北方民族との交易を盛んにしていました。

輸出品は、海産物でした。

 

思考が広がるような言葉を取り上げる

支配 商人

*「支配」

動詞なので、誰が誰を支配しているかが重要ですが、ここでは本文から明らかです。

さて支配というと、普通は身も心もすべてを支配するというイメージですが、支配の形にもいろいろあります。

税は取るが、宗教の信仰は認めるというのは、前のイスラーム3帝国の最盛期でした。

独立を認めるが、実際は政治的あるいは経済的に支配しているという形もあります。
事実上の支配というものです。

また政治的にも経済的にも独立しているが、精神支配を受けているというのもあります。
よく言われる「外国かぶれ」「外国依存」というのがその例です。
もちろん、表面的には外国かぶれをしていても内心は自我を保っていれば、いわゆる「和魂洋才」というものになるのですが。
「外国依存」というのは、外国がいうことに対しイエスマン状態になることです。

植民地にも、いろいろな形があります。
政治的に支配する形もあれば、近代のアメリカ合衆国が行ったような金融支配という形もあります。
現代のイギリスがカナダやオーストラリアを支配する形は、事実上の独立を認めながら、国家元首は共通のイギリス国王という同君連合(実際は、ゆるい連邦)というものです。

*「商人」

江戸時代というと武士の時代であり、他の身分が活躍する場はないという印象ですが、実際は特に商人の力が増大しました。
また農民の中からも、広大な土地を所有する地主層が力をつけていきます。
商人の力が増した背景には、工業の発達があります。

この工業という産業こそ、民力を非常に高めるものでした。
農民が栽培した作物を、手工業の家内あるいは工場で加工し付加価値を付けて、商人(問屋)が販売する。

民力が高まると、それが人口の大多数ということもあり武士の時代に終わりが見えてきます。

商業、つまり物の売り買いが経済の基本です。
売り買いされる物には、物体のほか、サービス、データ(情報)もあります。

 

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歴史的思考8歴史総合 江戸時代の日本(2)経済

今回の参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P28(20行目)~P29(16行目)「江戸時代の経済」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

まず冒頭文を見ると

江戸時代には長崎のほか対馬琉球を通じて貿易がおこなわれ

とあります。

従来の日本史を学習していた人の多くは、「え?鎖国をしていたのでは?」と思うでしょうね。

もちろん、いわゆる鎖国をしていました。
しかし「鎖国」の「鎖」とは、どういう意味の字ですか?「閉じる」という意味ではないでしょう?
閉じるなら、外国船が来ても全員追い払います。

しかし中国・朝鮮・オランダの船が来ると、外国人をどんどん上陸させています。
ただ長崎とこの2地域だけ、開いているということです。

つまり「鎖」とは、一部の場所で鎖を緩めるということ。禁止ではなく、制限・統制しているのです。
具体的には、外国と貿易をするのは江戸幕府対馬藩琉球王国薩摩藩)だけ。
他の大名や民間人にはやらせない。中国・朝鮮・オランダ・アイヌ以外とは貿易しない。
つまり江戸時代には、外国と貿易が行われていたのです。

ちなみに中国の明王朝がやっていた鎖国政策は、「海禁」と呼ばれます。
「禁」という字が入っていますね。
これが、海岸線完全封鎖のいわゆる閉国状態です。

 

次に本文に繰り返し出てくる言葉を見ると

生糸 砂糖 人参 物 貨幣 

三都 幕府 金融 綿花(木綿) 菜種 国産化 

屋敷 流通 発達 

商品 経済 財政 藩 

この単元の本文は4段落あり、段落ごとに記しています。
教科書を参考にこの言葉たちで作文をすると、メインテーマの出来上がりです。

第一段落。
「貿易は、生糸・砂糖・人参の輸入、鉱物・海産物の輸出」

第二段落。
「金融で栄えた三都の近郊で綿花・菜種の栽培が盛んになり、綿花・生糸・砂糖が国産化された」

第三段落。
「諸大名の領地と江戸・大坂屋敷が、発達した流通・金融で結ばれた」

第四段落。
「商品経済・貨幣経済が、幕府や藩の財政を圧迫した」

この最後の文の意味がいまいちわかりにくいと思います。
教科書も説明をしていません。

ふつうは、商品経済・貨幣経済になることと財政とは関係ありません。
これは江戸時代当時の特殊事情です。
当時は貨幣の原料である銀や銅の掘削量が、埋蔵量の限界に達し年々減っていました。
それに加えて、外国との貿易の代金として銀や銅(の塊)を払っていました。
つまり資金不足ということです。

 

この語群から思考が広がる語を抜き出す

物 貨幣 金融 化 流通 商品 経済 財政

今回は経済関連の言葉が多いです。
思考が広がるというよりも、この語群の中に互いに対比される語たちがあります。

「物」「流通」「商品」VS「貨幣」「金融」

経済の基本は、こちらの価値ある物と、あちらの価値ある物を互いに交換し合うことです。
だから最初は物々交換から始まり、やがて物の価値を表す貨幣ができます。
貨幣には、その原料自体の価値によるものと、国家が信用を与えたものとがあります。

物と貨幣は、一対、表裏という関係にあります。

*「経済」

歴史好きな人の多くが、経済史を苦手にしています。
政治史はロマンに満ちあふれているのに対し、経済史は現代に通じるリアルさを見せられるからでしょう。

歴史は、政治だけでは進行しません。
お金や物がないと、合戦はできません。先立つものは、カネなのです。

また政治と経済だけでは、人は動きません。
人を動かすものは、文化。あるいは心の在り方。

さらに、ひとりでは政治も経済も文化も生まれないし、発展もしません。
人が多数集まって作る社会が、組織が必要です。
家庭、職場、学校、地域、地方自治体、国家、国際社会。

したがって、歴史には、政治史・経済史・文化史・社会史があります。
この全ての面から総合的に歴史を理解する必要があります。

*「財政」

経済と政治がくっついている語です。
経済史が苦手な人、政治史が苦手な人の双方が、理解するのに苦労する分野です。

「人には、物欲がある」という言葉が、理解を助けると思います。
人は、とにかく何でもかんでも欲しがります。

特に政権が、欲しがります。
政権は、国民から物や金をできるだけたくさん集めようとします。税です。
国民は、政権に物や金を奪われることに抵抗します。
政権は、そこで力づくで奪い取るか、説得して奪い取るかします。

 

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歴史的思考7歴史総合 江戸時代の日本(1)幕藩体制

参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P27(32行目)~P28(19行目)「幕藩体制下の日本」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

歴史総合科目の特色

近現代史を中心に世界史と日本史がごっちゃ混ぜ、ということです。

互いに深い関係があればいいのですが、ざっと見た限り普通の外交・貿易関係ですね。

覚える内容がグローバルに果てしなく広がって、負担が増しているような気がします。

大学入試問題でも世界史と日本史の混合問題が出ていますが、無理なこじつけ感が…。

 

①冒頭文

前の時代は…

豊臣政権で

秀吉につぐ有力者であった徳川家康

この教科書のP27の32~33行目に、親切に書いてくれています。
さすが自分の国の歴史を大事にしています。

時はまだ戦国時代。
下剋上の風潮がまだ残っています。

政権が安定し、有力者といえど政権を覆す隙がなければ、下剋上は難しいでしょう。
しかし豊臣政権は、不安定でした。

そしてこの時代、有力者徳川家康がついに下剋上を成功させ、政権を奪いました。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

日本史は世界史に比べて論理的な内容ではないので、この手法が通用するかどうかですが、一応やってみましょう。

なお歴史的思考のほうは、じゅうぶんに可能です。

将 軍 幕 府 城 藩 体制 領 国 支配

教 禁止 交代 参 船 来航 

宗 檀 寺

固有名詞は省いていますが、幕府・領国は微妙なので分解しました。

1段落目は、どうやら政治体制の説明のようです。
2段落目は、宗教や貿易に対する政策のようです。
3段落目も、宗教関連みたいです。

政治体制は、軍の最高司令官が陣幕を張った場所(幕府)で行政を行うものです。
そして全国の諸城を中心とした諸地域を服従した者たちに与え、藩(区分という意味)に分けそれぞれの責任で支配させる体制でした。

政策の基本は「禁止」で、一部の宗教は禁止、藩の責任者が支配地域に留まることを禁止し(一年交代で幕府がある地に参上せよ)、一部の船の来航を禁止しました。

民の把握には仏教寺院を利用し、民全員が宗派別の檀に登録されました。壇というのは仏教の儀式を行う一段高い台のような場所(つまり寺院を意味する)のことです。

 

・軍事政権である

服従した藩の責任者(前の時代に各地に割拠していた軍人たち)に自治を認める

・宗教や貿易に対する強い制限政策をとる

・藩の責任者の行動への厳しい規制を行う

・民に対しても宗教などで厳しい制限がある

前の豊臣政権にはなかった非常に強力な統制政治です。

自治を認めると言っておきながら自由な行動を許さない点で、事実上の中央集権です。

特に宗教と貿易に対しては、異常なくらい厳しい制限を加えています。

 

③思考を促すような言葉をピックアップし思考する

将 軍 府 領・支配 教 禁止 交代 参 来 宗 寺

いっぱいありますね。
日常の学習では、ここまではなかなかできないと思います。
余裕があれば、挑戦しましょう。
既習の方は、②でちょろっと復習し、③に進むとよいでしょう。

分量がかなりあるので、興味のある項目だけ読むのもいいでしょう。

*「将」

とくれば、兵。
戦争は武将だけではできません。
多数の兵士が必要です。

この平和になった時代、兵士はどうなったと思いますか。

各藩の藩士になった人は、全員、騎乗の武士つまり将官でした。
兵士の中には主人についていき、藩士の側仕えになった者もいます。

しかし多くは、帰農つまり農民に戻りました。
戦国時代の兵士の大多数は、農民だったのです。

戦国時代は農民身分でありながら戦争に参加し、才能を見せると将官つまり武士に取り立てられるのが普通でした。
豊臣秀吉の出世は、実は普通のことだったのです。

この江戸時代になると、「農民が武士になるのは禁止!」になりました。
これが、身分制度の確立と呼ばれるものです。

*「軍」

軍の対照語は、民。
軍政・民政という使い方があります。
政策の傾向は、どう違うでしょうか。

軍政は、軍事力を背景にしているため、命令を聞かない相手に対し武力に訴え無理強いすることが多く見られます。
武断政治といいます。

これに対し民政は、命令を聞かない相手に対し説得や法的措置(裁判に訴える)により納得させます。
文治政治といいます。

どちらのほうが理不尽でないか、一目瞭然でしょう。

江戸幕府は軍事政権でありながら、その後大きく政策転換し文治政治を行い結果260年余り政権が続きました。
もちろんその前提として、各地の大名を厳しく統制することで軍事力を弱体化させ、その完了を見て満を持して文治政治に転換したのです。

軍は軍事力を背景に暴走することが多く、無用の戦争を引き起こす傾向があります。
現代の世界諸国では、軍の暴走を止めるためシビリアンコントロール(民による制御)という仕組みが作られています。
徳川氏とその家臣団が、いかに優れた見識を持っていたかが分かります。

*「府」

現在の日本の地方公共団体として、都道府県があります。
都道府県の間に上下関係はなく、府はそのうちの一つの種類です。

しかし歴史的にみると、府は特別な存在です。
府とは、役人が集まって事務を行うところという意味、つまり首都を意味します。
「幕府」「政府」、共にそういう意味です。

これは、明治維新のとき徳川氏の旧直轄領の多かった地域を、とりあえず3つの府(東京府京都府大阪府)にまとめた経緯に由来します。

*「領」「支配」

これは動詞です。つまりAがB(の住む地域)を領する、AがBを支配するというふうに使います。

Aは誰ですか?Bは誰ですか?これを明確にする必要があります。

日本語はとかくこの人物特定をおろそかにします。
日本の組織に責任逃れ、誰が責任者か分からないということが多いのは、こういう言葉の使い方に由来するのかもしれませんね。

ここでは、Aは江戸幕府です。
Bは、江戸幕府以外の全ての勢力です。大名、朝廷(公家)、農民・商人・職人。

こういうふうに人物を特定すると、江戸幕府の支配が比較的困難だったことが分かります。
自分たち以外は全員、敵ですから。
だから、禁止だらけの厳しい統制策をとったのです。

現代の日本はじめ諸国の政府も、大人数の国民を支配することがとても困難といえます。
現代は強圧的な政治ではなく、説得を試みる民主政治です。
しかしその説得に失敗する危険が非常に大きいという、綱渡り的な状態といえます。
民主的な態度をいかに保つかが、説得の成否を決めます。

*「教」

宗教ですね。
江戸幕府は、宗教政策を大きな特色の一つに位置付けていました。
その方法は、キリスト教の禁止(禁教)です。

ただ宗教というのは人の内心の持っていき方であって、その心の中を禁止することはもちろん物理的にはできません。
だから宗教の規制は、リアルにはその宗教団体(信者の集まり)の活動を禁止するという形をとります。
表立った宗教活動を禁止すれば、少なくとも布教は防ぐことができるし、信者が集まることによる信仰の高まりも防ぐことができます。

さて、江戸時代の他の宗教はどうだったのでしょうか。保護されて大いに盛り上がったのでしょうか。
仏教が政治的に利用されたのですが、実は仏教寺院もその勢力を削減させられています。
戦国時代に大名並みの実力を持っていた一向宗浄土真宗)は、その本拠だった本願寺を二つに分割させられました。東本願寺西本願寺です。全国の一向宗寺院たちも、この東西に振り分けられました。

このように他の宗教に対しても江戸幕府は、規制を加えていたのです。
けっきょく、自分たち以外の全てを敵とみなしていたのですね。

*「禁止」

政権が国民を支配するときもっとも多用されるのが、この方法です。
とてもシンプルで、容易だからです。
現代の日本にも、独占禁止法とか、駐車禁止とかいっぱいあります。刑法は、犯罪禁止法です。
学校の校則も、「何々(髪を染める、パーマをかける、上着やズボンを長くする、アルバイトをする、バイク通学をするなど)してはいけない」の羅列であることが多いでしょう。

自由にしてよい、と言ったらどうなるでしょうか。

現代の日本国憲法には、いろいろな自由が定められています。
その代表が、表現の自由
人は、自由に意見を発表してよい、自由に小説や漫画を作ってよい、などです。

すると、みな自由にやりたい放題になり他人のプライバシーを侵害したり、過激な内容の作品を作ったりします。
これを防ぐため、憲法には「公共の福祉による自由の制限(自由の一部禁止)」という定めがあります。
公共の福祉というのは、要するに他人に迷惑をかけるなという意味です。
本当は、完全な自由が最も望ましいのですけれどね。
人は、どうしても悪の道に走ってしまう傾向があるようで・・・(人は元来ワルであるという考えを、性悪説という)

*「交代」

参勤交代は、大名が領地に居着いてその地域の農民や商人と親密になることを防ぐ目的でした。
民と親密になり団結して江戸幕府に反抗することを、恐れたのです。

江戸幕府は、幕府の重要な役職の多くにこの交代制を採用しました。
例えば老中は常に4,5人、町奉行は常に2人いて、月番といって主担を一か月務め’他の人は副担になる)た後、交代するという形でした。
権力が独りに集中することを防いだ、巧妙な方法です。

しかし現代の制度は残念ながら、この江戸幕府の長所を全く採用していません。
独りの社長・市長・町長が十年二十年と居座り続け、弊害が酷くなることも多いです。
「権力は腐敗する」ということわざがあります。
腐敗しないまでも、雰囲気が固まりマンネリ化し覇気が失われサービスが低下します。

ちなみに江戸時代の参勤交代により、江戸で流行したことが一年後に全国津々浦々に伝わりました。
地方の片田舎にまで長崎から細々と流入した蘭学が普及し、多くの偉人が地方から誕生しています。

*「参」

これも、動詞です。どこからどこへ参るのでしょうか?

参るというのは、下から上に行くという意味です。
「上」には、地位のほかに、心のよりどころ、晴れ舞台、尊敬すべき場所という意味もあります。
「正義の味方、只今参上」と言ったりしますね。

参勤交代は、大名が各地方の領地から幕府のある江戸に行くことです。

ちなみに「参」の反対語は、「罷(まか)る」です。
人が亡くなることを「みまかる」ともいいます。
また「まかり通る」というのは、何か良くない(参ってほしくない)ものが堂々と行き交っているという意味です。

こうなってくると、歴史的思考というより国語の学習ですね。
最近は、国語と社会の総合問題も大学入試で出ています。

*「来」

ここでは来航という意味で使っています。
船で海外から来るということです。

江戸幕府は、外からくる船のうちオランダと中国は許可し、それ以外の国(イギリス・スペイン・ポルトガル)は禁止しました。
この差は、同じキリスト教国でも、スペイン・ポルトガルカトリック宗派、オランダはプロテスタント宗派という違いにあります。
カトリック諸国はキリスト教の布教目的を、侵略と併用することが多かったのです。この2国は特に戦闘的でした。
プロテスタント諸国は、政治と宗教を区別していました。

ただオランダも、現在のインドネシアに広大な植民地を作っています。
途中で撤退したイギリスも、同様に各地を侵略する目的がありました。
この2国は、日本に対し侵略をしないという態度をとっていただけなのです。

来るの反対語は、「(海外に)行く」です。
江戸幕府は、日本人が出国すること、帰国することも禁止しました。
江戸時代初期に東南アジアに行った山田長政が、そのまま現地で一生を終えた話は有名です。
嵐で流された漂流民は例外で、役人が厳しく取り調べたうえで帰国を許されました。ジョン万次郎など。

*「宗」

宗教の中は、考えの違いからいくつかの宗派に分かれていました。
上記のキリスト教の2大宗派、仏教の各宗派などです。

一口に仏教といっても、中身は多種多様です。
日本史では、鎌倉時代に成立した6大宗派が代表的です。
出家を重んじる浄土宗、俗生活を許す浄土真宗、政治改革を目指す日蓮宗、ダンスパフォーマンスの時宗、座禅し問答する臨済宗、ひたすら座禅する曹洞宗です。

それぞれの宗派の中も、さらに各派に分かれています。
浄土真宗だと、西本願寺派大谷派に分かれます。臨済宗には15の分派があります。

浄土真宗は別名一向宗で、室町時代に大勢力となり戦国大名たちと抗争しました。
日蓮宗は、鎌倉・室町時代に普及し、現代では政界にも進出し閣僚を務めています。
臨済宗は、室町幕府と政治的に結びました。一休さんが有名です。

*「寺」

とくれば、神社は江戸時代は?
あることはありましたが、仏教が幕府と結んだため、神社は風前の灯火になりました。

しかし江戸時代後期に欧米諸国の船が近海に現れると、「日本は神国だから侵略されない」という元寇時代の思想が注目され神道が隆盛することになります。

民間ではこの時代少雨傾向で飢饉が多かったこともあり、雨ごい目的の天神さんが全国各地の村々にありました。


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歴史的思考6歴史総合 14世紀以降の東アジア(2)清王朝

今回の参照資料・引用元

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P27(11~31行目)「清(しん)の政治と経済」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

①冒頭文で、前の時代を見る

この単元では、説明の一文があります。

満洲人による清は、もともと中国東北部で勢力を拡大する際、モンゴル人や漢人を政権に参加させていた。

中国本土についての説明ではありませんが、この清王朝の特色を表す一文になっています。

かつてのモンゴル帝国および元王朝の政策はモンゴル人第一主義で、漢人を差別し政権から排除していました。
その他の北方民族による征服王朝も、このモンゴルと同様でした。

しかしこの清王朝は、漢人を政権に参加させました。
なぜか態度が違います。
もちろん後述するように満洲文化を強制したりしています。

この違いの理由は、清代、支配者である満洲人の人口がとても少なく(200万人)、漢人の人口が圧倒的多数だった(5000万人のち4億人)ことがあります。
漢人が支配に抵抗しなかったのも、謎ですね。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

本土 皇帝 を重んじる 王朝 人口 官僚 経済 貿易 政治 増 開 墾 新 山 乱

最初の言葉で思考をくすぐられるのを我慢(笑)して見てみると、政治も経済も社会も充実していることがわかります。
この清王朝の時代が、中国歴代王朝の中で最も栄えた時代といわれます。

政治面では官僚体制が整い、経済面では貿易が活発で国内の開発も進展し、人口が急激に増加(17世紀5000万人⇒19世紀4億人)しました。

 

「を重んじる」というのは、清王朝支配下にある多数の民族(主に5民族=満洲・漢・モンゴル・チベットウイグル)に対する態度で、それぞれの文化を重んじるという意味です。

しかし諸民族に完全な自由を許したわけではなく、満洲人の皇帝が各文化を取り入れその頂点に立つという形をとりました。

支配下の男子全員に満洲人の髪型を強制するなど、征服王朝ならではの政策もありました。

 

③思考をくすぐられる言葉を抜き出し思考する

思考をくすぐられるというのは、その言葉からいろいろな連想が可能という意味です。

この点で、固有名詞や歴史用語は比較的連想が難しいのです。

国名・地域名のなかには連想可能なものもあります。例:中国、日本。

 

*脱線話=日本の国名から連想可能なこと

これは今回の話から脱線してしまうのでどうしようかと迷ったのですが、一度思考をしてしまうと止まらない(笑)ので、少し触れておきます。

 

日本とは、どういう意味の言葉でしょうか?
日出づる所、という意味です。(こういう説がある)
つまり、東という意味です。

 

「東」とくれば、西を連想しますね。日本の西には、何がありますか?

まず中国、次いでインド、次いで西アジア、次いでヨーロッパ、次いでアメリカ。
つまり、海外諸国があります。

ということは日本とは、海外諸国(世界)から見た東の端(極東)にある国という意味になります。

歴史総合の科目理念は、「世界から見た日本」です。この日本という国名はまさにそれですね。

 

私個人的には、日本という国名はいわゆる自己チューでないのであまり面白くないと思っています。
他人を思いやる気持ちが強い日本人の国民性に沿っていて、謙虚で控えめな表現なので良いと思う人もいますが。
もっと自分を押し出すような国名であればいいのにと思ったりします。

 

昔の日本の別名は、「大和」「敷島」「扶桑」「瑞穂(みづほ)」「葦原の中つ国」「秋津洲」「大八島」などです。

前4つは、戦艦名や銀行名に採用されてしまっています。

いっそのこと「蓬莱(ほうらい)」にしてもいいですが、ラノベやアニメに架空の国名・地名として出ていたような記憶があります。

 

脱線話はこれくらいにして、この単元から思考をそそられる言葉を抜き出しましょう。

本土 皇帝 を重んじる 増 開 墾 新 山 乱

後半6語は、容易に連想可能な分かりやすい言葉たちです。

*「本土」

本土の別名は内地。第二次世界大戦中の日本は、本土四島を内地と呼び、沖縄や植民地を外地と呼んでいました。

これは、外地に対する差別政策の現れです。(現在もその名残がみられる・・・)

 

この単元では、本土は中国本土のことです。本拠地という意味でしょう。

ただ清王朝満洲人は、じつは中国を本拠地にしていません。
あくまで満洲中国東北部)が本拠地でした。

5民族の上に等しく立つという理念で、広大な領土(P27の右上の地図)を支配しました。
その意味で、清は世界帝国でした。

 

清王朝は、モンゴル帝国とよく比較されます。

モンゴル帝国は、元王朝になってからは中国を本拠地にしました。
そのため支配する各地域が、やがて離反していきます。
最強の軍事力を背景にしたモンゴル人以外の民族への差別政策も、理由にあったでしょう。

*「皇帝」

皇帝というと一般的には諸国の王や諸民族の上に立つ王様という意味ですが、ヨーロッパ史だと古代ローマでは全ての最高権力を一身に集める人という意味であり、中世ではキリスト教を保護する世俗権力の最高者(全てのキリスト教国の上に立つ)という意味で使われています。

中には「皇帝になりたい」という願望を込めて自称する例もあります。

フランス革命後にナポレオンが即位した皇帝は、王様ではなく、一応民主主義の体裁をとった軍事政権の最高権力者という意味です。

19世紀のドイツ皇帝と20世紀のナチス・ドイツ総統は、どちらも中世の皇帝を意識していました。

どの意味にとろうとも、皇帝という語には多数の人々を支配する者という意味があるとわかります。

*「を重んじる」

為政者はいろいろな政策を行うのですが、全て満遍なくというわけにはいきません。
財源には限りがあるからです。

そこである政策は重んじるが、ある政策は軽んじることになります。
もちろん軽んじられた政策を頼みにしていた国民にとっては、大迷惑な話です。
現代でもこの軽んじられている政策について、国会で閣僚が激しく追及されているのをよく見ます。

清の歴代皇帝は、教科書の記述にある通り片や満洲人(武)を重んじ、片や漢人(文)を重んじという政策でした。
これは生半可なことではありません。
文武両道を修めよとよくいわれますが、リアルには難しいです。どちらもできる人は、万能とか天才とかいわれるほど少数です。
これを少なくとも二百年は維持したのですから、驚きです。

*「増」「開」「墾」「新」

とても前向きな言葉が並んでいますね。

歴史的(時系列的)に見るとそれぞれ、少なかったのが増えた、閉じていたのが開かれた、荒れ地だったのが田畑にされた、古かったのが新しくなった、ということになります。

前向きな言葉が出てくると、後ろ向きな言葉を連想できます。

増えたというのは中国の人口が増えたという意味で、清建国時には5000万人だったのが19世紀には4億人になっています。

「開」「墾」「新」は、元は山地や荒れ地だった所が新しく開発され田畑にされたという意味です。

*「山」

この清代には中国の山地が開墾され、多くの山が消えました。

さて、山の対照語は平地ですね。
この、山と平地は自然界的にはワンセットとなっています。

山がある地域は雨が多いことが多く、山に降った雨が流れ下り河川となって平地を流れ平地を潤します。
また雨が多いと植物が成長し、山には樹林が多く生え雨を吸収し溜め込みます。
この結果、山に雨が降っても一気に流れ下ることがなく、洪水が起きにくくなります。

近くに山がない平地は、河川も枯れてしまい乾燥しやがて砂漠化します。
大量の雨が降ると、土壌が乾燥しているため染み込まず表面を流れ大洪水になります。

「乱」

平穏が乱されることを意味します。
平穏とは、人々の日々の生業の平穏のことです。

上記の様々な前向きの言葉は、前向きな人にとってはもろ手を挙げて大歓迎ですが、後ろ向きな人や現状維持思考の人にとっては迷惑千万です。

清王朝の政策により農地を新しく開発されて喜んだのは人口が増えすぎて田畑が不足し持てなかった人たちで、迷惑に思ったのは開発された山地(の産物。木材や木の実)を生業としていた人たちです。

このように一見素晴らしいと思えるような政策あるいは態度であっても、人の利益や立場によっては困ってしまうということが分かります。
「前向きは善で、後ろ向きは悪だ」とは一概に言えないのです。
このように物事には多面性(多くは二面性)があるということを、歴史学習だけでなく人生の教訓としても知っておくべきでしょう。

 

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歴史的思考5歴史総合 14世紀以降の東アジア(1)明王朝

おわび

私はここで3月からブログを書いていましたが、参照教科書の著作権への配慮をおろそかにしていたことに気が付きとりあえず全記事を削除し、改めて著作権に配慮しながら書いています。

削除した記事は閲覧できません。あしからずご了承ください。

 

参考資料・引用元は

 

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P26~27(10行目まで)「明の朝貢体制と東アジア」および「16~17世紀の東アジア」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

 

①冒頭文

 

この単元では、P26の1~3行目に、前の時代の説明が丁寧に記されています。それによると

東アジアの国際関係の特徴は、古くから中国の王朝を中心とする朝貢関係が結ばれてきたことである。

とあります。

これは、中国の歴代王朝(秦・漢・隋・唐・宋・元)が存在した時代は、中国は周辺諸国に対し圧倒的な国力を有していて東アジア全域を軍事的に制圧可能な(リアルに征服しようとすると国力が疲弊するのでほとんどやらない)状況にありました。

中国王朝はその威を示すため、周辺諸国に対し平和的な外交や貿易においても尊大な態度をとりました。

朝貢とは、周辺諸国が中国王朝にプレゼントを贈り、その見返りに中国の皇帝から「何々王(倭王日本国王など)」に任じられるという外交形式です。

王は、皇帝の家来という建前です。中国王朝の風下に立つという態度の表明です。

いびつな国際関係といえるでしょう。

 

この明王朝の時代はどうでしょうか。

 

②繰り返し出てくる言葉でメインテーマを把握する

[14~15世紀]

14世紀 朝貢 関係 王朝 貿易 利益 中心国 周辺国 貢物 返礼品 与える 交易

例によって、固有名詞を省いています。

ざっと見ればわかるとおり、明王朝の時代も周辺諸国との朝貢関係を維持し続けています。

中華意識が身に沁みついてしまっています。

[16~17世紀]

16世紀 東 商人 貿易 利益 政権 北 17世紀

16世紀の明後半になると、少し様相が違うような言葉たちです。

しかし教科書を読むと相変わらず朝貢関係は続いていて、中国も含め諸国の商人たちはやむなく密貿易に手を染めたり海賊をしたりしています。

 

周辺諸国の中には、この貿易(東つまり西との貿易)の利益を得て急成長する政権も現れました。

鉄砲を輸入し軍事力を高めた日本の戦国大名、特に織田信長豊臣秀吉のことです。

 

17世紀になると、北の遊牧民族が国家を形成し南の明を脅かします。

 

③思考を広げるような言葉をピックアップし歴史的思考をする

中心国 周辺国 貢物 返礼品 与える 東 北

本文のメインテーマの中で、ほとんど説明してしまいました。

 

*「中心国」⇔「周辺国」

中世ヨーロッパでも、神聖ローマ皇帝の座を巡り諸侯(選帝侯)間でし烈な争いが繰り広げられました。

皇帝になると、名目上は諸侯やヨーロッパ諸王国の上位に立つからです。

 

*「貢物」⇔「返礼品」を「与える」

これは、分かりやすいですね。

バレンタインデーでチョコをもらったら、ホワイトデーでお返しをする。

「これで貸し借り無しだ」という声が聞こえてくるようです。

そうです。明王朝など中国歴代王朝と周辺諸国との関係は、表面上は朝貢関係でしたが、内実は対等の貿易・外交関係でした。

貢物は周辺諸国が中国に輸出する(売る)品々、返礼品は周辺諸国使節一行が中国から輸入する(買う)品々です。

ただ貿易できる機会は、周辺国が中国に使節を送ったその段階だけです。自由貿易ではありません。

建前をやめて自由貿易にすればいいのにと思いますが、そこは中国の中華意識というメンツが許さないというそういう状態です。

 

*「東」

とくれば西を思え、という思考は、このブログを第1回から読めばそろそろ身につく頃でしょう。

ここでいう西は、ヨーロッパ諸国のことです。

16世紀は、ヨーロッパ人の大航海時代に当たります。

ヨーロッパ人がもたらす珍しい品々(ヨーロッパ産の鉄砲や、東南アジア産の香辛料など)に、中国の商人たちはぜひ取引したいと思ったことでしょう。

明王朝への不満が、中国人の間に日に日に高まります。

 

*「北」

とくれば、南を・・・。

ここでは、北方民族が再び中国本土に南下しようという勢いを見せ始めます。

ただその北方民族は、モンゴル人ではないようです。

 

中国の歴史学習に欠かせないのは、「東西南北」思考です。

中国王朝に、東から、西から、南から、北からどのような勢力が近づいているか存在しているかを理解する必要があります。

これは、中国の地域名からも導き出すことができます。

「中国」の「中」とくれば、その反対語は「外」ですからね。

中国人の伝統意識の中には、常に周辺諸国が強く印象付けられて存在しています。

 

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歴史的思考4歴史総合 16世紀の東南アジア

前回までの3回は

ブログ主の私が提案する学習法を知ってもらうために、その手順をかなり詳しく書きました。

そのため分量がかなり多くなってしまいました。

今回からは

まず冒頭文で前の時代を特定し

次に繰り返し出てくる言葉をチェックしてメインテーマを抽出し

その中から歴史的思考が可能な言葉をさらに抜き出す

という3段階をささっと書きたいと思います。

重点は、歴史的思考力に直結する(つまり大学入試対策や深みのある歴史学習に役に立つ)に置きます。

参考資料・引用元は

山川出版社発行の教科書『歴史総合 近代から現代へ』最新版

P25の25行目以降「東南アジア」

https://new-textbook.yamakawa.co.jp/history/

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教科書を手に取り、私がこのブログで提案している方法で読めば、容易に体系的な歴史の知識が手に入ります。

①冒頭文

前の時代は・・・書かれていません。しょうがないですね。

東南アジアには16世紀以降、ポルトガルやスペイン・オランダ・イギリスなどヨーロッパ勢力が進出し

とあるので、無理に

「東南アジアには15世紀以前、・・・などヨーロッパ勢力が進出していなかった」

とこじつけて前の時代を特定するほかありません。

 

15世紀以前、ヨーロッパ勢力はなぜ東南アジアに進出していなかったかというと、ポルトガル・スペインは国自体が存在しなかったこと(地方勢力としては存在)、オランダは地方勢力でさえなく影も形も無かったこと、イギリスは貴族同士の対立抗争が酷く国王の権力が弱かったことなどの原因があります。

 

16世紀になると、ポルトガル・スペイン・オランダが国家として確立し、イギリス(正確にはイングランド)にはヘンリー8世やエリザベス1世女王ら有名な絶対君主が現れました。

商人が遠い地域に海を渡っていくには、大洋を乗り切る大型船と多数の人員と食料が必要です。

商人個人では難しく、国家的規模での後援が必要だったのです。

②繰り返し出てくる言葉

P25の25~34行目までを(固有名詞や歴史用語を抜いて)チェックすると

東 南 域 内 貿易 国際 利益 財政 基盤 港市 国家

これが、この単元のメインテーマです。この言葉たちを使って作文すると

「東と南をつなぐ域内の国際的な貿易で獲得した利益を財政の基盤とする港市メインの国家が各地に現れた」

という感じです。

 

「東」とか「西」とか、歴史的思考をやりたい気持ちがうずうずするような言葉がありますが、ちょっと我慢(笑)して。

ここに「東」と「西」とあるのに、なぜ「域」「内」なのか?という疑問が湧きます。

東といえば、中国。西といえば?

世界全体を見ると西といえばヨーロッパですが、ここではインドを指します。

域内というのは、アジア地域の内でという意味なのです。中国とインドはかなり距離があると思いますが、ヨーロッパとの距離よりは近いです。

 

それでは、ヨーロッパは?スペインとオランダがこの東南アジアに来ているから、ヨーロッパと貿易しているのでは?

という疑問が起きます。

しかし、やはり「域内」なのです。

この東南アジアの諸国には数多くの外国商人が出入りしますが、スペイン商人やオランダ商人はそのなかの2種類でしかなく、本国やアメリカ大陸ともちろん行き来しますがメインはここに拠点を置きこの地域の貿易(東と西をつなぐ)に従事していたのです。

③パートナーのある言葉を抽出

さて、歴史的思考を広げていきましょう。

定期テスト対策や大学共通試験対策なら、①②だけで十分です。

論述・記述式問題対策や、歴史の深いところを知りたいのであれば、ここを思考してください。

ここに書いたものはあくまで参考程度にし、自力で(基礎的な知識が前提ですが)やるといっそう力がつきます。

東 南 内 国際 港市

*「東」とくれば、西。「南」とくれば、北。

方角言葉が、思考を最も容易に広げてくれます。

東南アジアは、東(中国・日本・アメリカ)西(インド・西アジア・アフリカ・ヨーロッパ)南(オーストラリア)北(中国があるが、山地に阻まれる)全ての方角を連想できるというまさに国際交流・貿易の重要地域です。それは、現在も同様です。

現代の中国がこの地域を支配しようと意図しているのも、そういう理由です。

日本にとっては、西アジアやアフリカから原油や鉱産物を運んでくる船の通り道です。

ここをもし一国が支配し公海をなくすか狭めようものなら、日本経済は大きく損なわれてしまうことでしょう。

*「内」

域内貿易と域外貿易(ヨーロッパとの)の比重が、前者に傾いているのがこの16世紀の情勢です。

これがやがて、後者が増えてきます。

そして後者がメインになるのが、18世紀以降になります。東南アジアの列強諸国による植民地化が進みます。

*「国際」

とくれば、東南アジアの諸国の「国内」はどうなっているのでしょうか?

これは、前のイスラーム3帝国と同様で、外国人が行き交い貿易・商業活動が盛んなのはあくまで首都と港市周辺に限られます。

それらから一歩中に入ると、そこは当時のヨーロッパ諸国と同様、人は一生村やその近隣から出ることのない状態の、農村でした。

しかも、海外に輸出する産物を強制的に作らされているという状態でした。

国家が繁栄しているといっても、国家の中の誰が利益を享受しているのかよくよく見極めなければいけません。

*「港市」

これも前の「国際」と同様で、外国からくる商人や国家使節にアピールするため見栄えばかり(つまり中身がない)を強調することになります。

 

戦国時代の日本の港市・堺が有名ですが、その堺にある建物は現代にいたるまで海岸線と平行になるように作られています。

堺付近の海岸線は北東方向から南西方向に伸びているのですが、堺の町割り道路はすべてこの海岸線に平行に作られ、建物もそれに倣いました。

結果として、海外から船で堺を訪れた商人や使節は整然ときれいに並んだ建物群に感激し、財布のひもが緩くなりました(笑)。

ちなみに大仙古墳(仁徳天皇陵)も、海岸線に沿って造られています。

 

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